能登半島地震の避難状況

1月3日15時のNHK情報による能登の避難状況

今回の能登半島地震の被害状況を面的、数的に把握したいと思い、避難者数を全人口で割った避難者比率を出して地図上に載せてみた。七尾市が人口約50000人。輪島市の避難者数が約10000人程度である。人口については前回の国勢調査(2020年)によるものなので、現在はもっと減っている可能性が高く、つまり避難者比率はさらに高いと思われる。

地図はオープンストリートマップより。https://www.openstreetmap.org/copyright/

気象庁による1/1移行の震央分布図 『「令和 6年能登半島地震」について(第 8報)』より

震央分布図の赤い部分に沿って被害がデカい。志賀町や七尾市は避難比率が低いものの、震央に近い、平成の大合併以前でいう富来町(志賀町北部)、中島町(七尾市の能登島の西側、穴水の南)の被害が大きく、当該地域の避難割合は高かったり、孤立した集落がある。

2日前のNHKの情報を元に作ったのだけど、残念なことに輪島の避難者数は増えて珠洲と同じく50%を超えてしまった。一応嬉しい情報としては志賀町の避難者数は半減しており、中島町の孤立集落の孤立状態は解消されたようだ。

志賀町と七尾市から先は、能登半島というのは三方が海に囲まれていてる。その部分に被害が集中した結果、とんでもないことになっているなと。まさにボトルネック。しかもご存知リアス式海岸なので、陸側も山。集落は海沿いや谷間の隙間にあり、谷と海沿いに道路が配置されるので、人口は分散しており、それをつなぐ道も平常時から危険な道になりがちである。港もあまり使えないというので、被害規模の割に未だに珠洲や輪島に支援がたどり着かないのも宜なるかな。

能登半島にゆかりがあるので、出てくる写真、動画に、ここは知っている……!となりその破壊具合に恐怖を感じた。被災者インタビューで親戚のなまりそっくりの人が絶望を語っていて怖かった。発災直後に能登からは発信が少なく、金沢や他県からの情報の方が多いことに、被害中心地は被害が多すぎて発信が遅れる過去の事例を思い出して怖かった。

輪島の火災があったので、輪島がよく報道され、珠洲が最も被害が大きいということも2日目あたりから分かってきたのだが、一方で穴水や能登町らへんも震度は同じ程度あったので、酷いのではないか?と思ってこの図を作ったのだが、実際能登町の人がTwitterで酷い被害を語りつつ、珠洲に抜けようとする支援車両にこちらも被害が大きいのにと思ったが、情報が入手出来るようになったらたしかにそちらのほうが被害が酷かったと語っていて、なんともはや……となった。

まずは安否が確認出来て、安全が確保され、道路が啓開されんことを。

Omega Crafterのオープンβテスト感想

Preferred Networksが作ったマインクラフトみたいなゲームがOmega Crafterで、最大の特徴はビジュアルプログラミング言語による仲間AIのプログラミング。そのオープンβテストで遊んだので感想書いた。

Omega Crafter on Steam

スプラのゲーム仲間がやっている時の配信を見てたら、プログラムに苦戦していたので「それはこうしたら動くはず〜」とか、アドバイスしてたらやりたくなったのがきっかけ。

プログラミング楽しいよ

まぁそういう経緯なので、プログラムするのが楽しい。プログラムできる対象は、グラミーという存在で、主人公についてくるひとりと、拠点としてゲーム上に定義されている街という場所でのみ使える生成できる人たち。

冒険するときに必要な素材があり、それのクラフトを手動でやるのがそこそこめんどくさく、自動化できると楽になるという状況が設定されているのが肝。ユーザーは自然な形で自動化を目指す。この自動化であるプログラミングの部分はPreferred Networks社が作っているプログラミング教育サービスの『Playgram』そのものらしく、かなり洗練されている。子供が楽しめるように、ビジュアルのフィードバックがあり、クリエイトモードで自由に世界を作ることができるようになっているらしい。*1 開発者インタビューでも、その工夫を子供が楽しんでるのを見て大人向けにも作ることができるのではないか?という流れで当ゲームの開発が始まったとある。

新星・国産クラフトサバイバルゲーム『Omega Crafter』は、ほぼエンジニアのみのチームが“先行事例”を研究しまくって作った。ITベンチャーのゲームチームが目指す遊びやすいクラフトサバイバル - AUTOMATON

このゲームではプログラム対象はグラミーのみで、グラミーはプレイヤーキャラクターが出来ることの多くが出来る。つまりロボットのプログラミングである。ここも肝のひとつで、どんなに単純な動きでも、グラミーが動き回る姿がかわいいのである。println(“Hello World”);をしても何も面白くないが、グラミーに木を切らせるだけでかわいい。そこからさらに切った後に出る素材を拾わせると、一気に人間味が増し、さらにプレイヤーに渡しに来るようにするともうめちゃくちゃかわいい。

一緒に遊んでた人たちは天才で、木を加工して板を作るグラミーが成功したときに「いい艶だ……」って言わせていた。Printデバッグとも言えるし、内部の状態を外部に自然に出す手段としてもうまく使っているなぁと、プログラマー的視線では思うし、グラミーに性格付けることで親しみと面白さがさらに増すという意味では言語センス、ストーリーのセンスを感じる。まぁ後者もプログラマー的には抽象化とかネーミングのセンスとして回収できるところでもある。

マインクラフトはそこそこやったが、どうも自動化がしっくりこずに終わった。それをするための手間があまりにもかかり過ぎるし、手動の時とまったく違う発想が求められるからだ。多くの人は先行事例を真似て作るところから始めるだろう。それに対して、本作における自動化は楽過ぎるぐらいに楽。まずグラミーのプログラムはゲーム開始直後から出来る。そしてグラミーはプレイヤーキャラクターのような振る舞いが出来るので、プレイヤーがクラフトする手順をグラミーにプログラムするだけで良く、自動化で手動の時とクラフトの手順が変わるということがないのもポイントである。

余談

グラミーはロボットなので、ライン工としても多能工としても扱える。つまりいろんな仕事のやり方の効率の差を見てみよう〜みたいなことも原理的には扱えるはずで、それはちょっとやってみたいなと思った。『カンバン仕事術』という本で、1個流しにすると価値の提供が最速化するわよということを実感するための、コインをみんなでひっくり返していくゲームというのがあるのだが、それをグラミーにやらせたら、より実感を伴うんじゃないか、と思ったわけ。

プログラミング以外の部分

建築も結構楽しい。ブロックに縛られているマインクラフトよりも楽だし自由。グラフィック面ではテクスチャのクオリティは正直低いのだが、光の表現がとてもきれいなので、一日の中で美しい瞬間が訪れるのが良い。

冒険と戦闘にはそこそこキャラコンが求められるのだが、Macbook Airのみの適当な環境でやったので大変だった。だが、ちゃんとコントローラーとか用意しても他と比べてとびっきり面白いとは思えないだろうな、というのが正直なところ。あと基本マルチプレイしかやってなくて、ソロだと操作性の悪さと不利さで諦めてたと思う。

全体を通しての感想

圧倒的に面白い部分がグラミーへのプログラミングで、グラミーたちがワチャワチャ動いていてくれるおかげで、成功してもバグってても楽しいのである。そこが楽しすぎるので、他は仕方なくこなしている感じになってしまった。

自分の肌感覚としては、この部分をゲームの要素すべてに応用したらもっと楽しくなるのに、であった。

冒険だったら乗り物がないと行けないところを作り、プログラムさせる。戦闘だったらグラミーに戦術をプログラムして実行させる。タワーディフェンスにしてもいいと思う。建築も当然グラミーに任せてしまいたい。プレイヤーキャラクターはかなり普通のゲームらしく色々な事ができるのが現状だが、あえて出来ることや出来る範囲、効果を絞って、世界により大きく介入できるのはグラミー経由にした方が面白いのではないか?

以上なのだが、僕は本職プログラマーなので、まぁなんか特殊なプレイヤーだしなぁってこの感想に関しての感想を持ちました。ではでは。

*1:公式サイトを見ただけの感想

宇多田ヒカル「Gold ~また逢う日まで~」のMVが面白かった

「え、ヨドバシ?しかも新宿」と頭の中をよぎる中、本当にヨドバシから宇多田ヒカルがすたこら歩いて登場。なんだこれ???てなった。そのまま新宿西口を歩き出す宇多田ヒカル。見覚えありすぎるよ!!!!リップシンクは完全に諦めてつぶやくように歌いながら歩いてて、たまにいるよこういう人感も少しある。

このMV、一見しただけではMVによくある表現が頻出するMVねって感じ。つまり、歌いながら歩いていくのを撮ったり、ガラスの映り込みを使って場面転換したり、クレーンによる吊り上げだったり、アーティストに2つのキャラクターを演じさせたり、とよくあるよね〜そういうのって表現の組み合わせで出来ている。しかし、宇多田ヒカルであるということを踏まえると、そこに実は意味が出てくるというパーツばかりで構成されていて、直喩と隠喩のジャングルになっている。というわけで、実際に見ていこう。

椎名林檎オマージュじゃん!

冒頭から始めると、ヨドバシから出てくる宇多田ヒカルで思い浮かぶのは、宇多田ヒカルの盟友、椎名林檎「浴室」だ。

新宿のカメラ屋さんの階段を降りた茶店はジッポの油とクリーム あんたの台詞が香った云ったでしょ?「俺を殺して」


ヨドバシ妙に強調するじゃん

冒頭のシーンでは宇多田ヒカルの歩いていく先のヨドバシの明かりがついていき、カメラは何度も宇多田ヒカルの顔と「ヨドバシカメラ」のサインを同じフレームに入れるためにパンする。これ、後述するが、見た目の表現として面白いからではなく、ヨドバシカメラであることが極めて重要だからやっているので覚えておいて欲しい。

ヨドバシカメラ強調しまくりシーン

ヨドバシの明かりがつく演出と、トラックで搬入出している人の自然な演技の対比は、アーティスト宇多田ヒカルというリアリティを示しているシーンである。

アジア系コンビニ店員宇多田ヒカル

ヨドバシのシーンは屋外のゲームコーナーのガラスからコンビニのショーケースのガラスにうつして、宇多田ヒカルはコンビニ店員になっている。まぁ違和感がすごい!ロンドンに暮らすセレブリティ&アーティストとしての宇多田ヒカルと言えるスタイリングであったヨドバシのシーンとは異なり、ここではSNSで発信する素の宇多田ヒカルっぽいスタイリングでありつつ、でもコンビニ店員感を出した結果、どちらかというと新宿のコンビニ店員によくいるアジア系の店員になっている。だって日本人こんな足出さないもん。

「Keep Tryin'」のMVオマージュとも言える

東京とNYを行ったり来たりして、東京ではインターナショナルスクール育ちなので、宇多田ヒカルは元々帰国子女感があり、それってつまりアジア系アメリカ人ぽさなのだが、そこが留学という名目で出稼ぎに来ているアジア系外国人女性店員というそれっぽさに繋がってしまう面白さがある。

一方でアーティスト宇多田ヒカルは宇多田ヒカルのリアリティなのだが、コンビニ店員はフィクションだ。MVの基本構成はここで作られる。リアリティとフィクションの対比。その障壁であり橋であるのがガラスとその映り込みだが、金魚を使うことでつながりを強化しており、金魚はまた最後のシーンへの伏線になっている。

金魚がつなぐ二人の宇多田ヒカル。金魚が日本モチーフであるのも意図的だろう

コンビニ店員からロンドン暮らしのアーティストの宇多田ヒカルに場面がまた戻ると、今度はドンキの新宿店である。歌舞伎町の方ではない、より奥の職安通りを渡って大久保側に行ったところにあるお店だ。

宇多田ヒカルの曲に共通する詩情

水漏れしている中で歌っているコンビニ店員

コンビニ側のシーンでは水漏れが始まる。これは直近の「BADモード」のMVを思わせるシーンである。なにがしかのお店の待合室がどんどん水没していく中で宇多田ヒカルが開き直って踊りながら歌うのが印象的なMVである。

ここでは映像的な類似性もあるが、より根本的には宇多田ヒカルのほとんどの曲が持つ詩情の共通部分が滲み出したという解釈を取りたい。「BADモード」の歌詞は極めて深刻な状況に置かれた人を、仕事のメール無視してウーバーイーツで家事も無視して、一緒に過ごすよと言うもので、それを明るいダンスミュージックな曲に載せて歌っている。「Gold」の方はというと、悲劇が起こる前提の歌詞であり、近い将来なにか悪いことが起きることを示しつつ、言葉そのものは明るく前向きである。少し異なる表現だが「BADモード」と同じ詩情がそこにはある。

つまり、水漏れはなにか悪いことが起きそう、起き始めていることを示している。しかし起きてしまったら「BADモード」では踊り始め、「Gold」でも仕事を放棄して歌い始める。宇多田ヒカルはアルバム『BADモード』ではベッドルームダンスミュージックに回帰したと語った。まさにその表現をどちらのMVでもしている。

椎名林檎オマージュ再び?

さて、途中解体中の小田急百貨店を西口から見るシーンも挟み、宇多田ヒカルがクレーンで吊り上がっていく。このMVのサビとも言えるシーンだ。新宿で吊り上がるといえば、またもや椎名林檎である。2016年の紅白で都庁前広場でダンサーが吊り上がった状態から降りてきて「青春の瞬き」が始まる。*1ちなみにMVで椎名林檎自身が浮かんでいる。

やはり新宿系を名乗った盟友、椎名林檎との関係性の匂わせでは……?だって二人が歌う曲だとねぇ……。

宇多田ヒカルの「二時間だけのバカンス」で、ドストレートに不倫な歌詞の曲を、椎名林檎の旦那である児玉裕一氏にMV監督させて、これまたドストレートに百合なMVに仕上げさせて……。

椎名林檎のアンサーソングとも言える「浪漫と算盤」でもやはり旦那に監督させて「神々の戯れをどうぞご覧ください」と言わせている。

てことはこのMVの監督も?と思ったら違うんですよね。確かに児玉裕一氏だとこうは撮らん気もしてくる。

クレーンのCG自然すぎるよ

話をシーンに戻すと、クレーンも線も見えている状態で吊っていくのは、リアリティ側であるアーティスト宇多田ヒカルだからだ。この吊り上げシーン、実はCGでハイパートリッキーなことをしている。新宿西口の恐らくスバルビル跡地での吊り上げで西口からの新宿の摩天楼を写しつつ東口にあるドン・キホーテ新宿店がすぐ奥に写っているのである。

浮かび上がる宇多田ヒカルと嘘の新宿

極めてなめらかで自然だが、ここは明らかにおかしい。新宿西口にドンキがないのに東口というか大久保との中間にあるドンキ新宿店を手前にして解体中の小田急百貨店とハルクを背景に吊り上がっていくのだ。

クレーン撮影の場所説明

こんなトリッキーなことをどうしてしたのか?新宿のイメージである摩天楼と、ドンキのイメージをつなぎ合わせたかったから以外にない。ここで冒頭のヨドバシと合わせて考えると、監督はヨドバシとドンキというお店に新宿らしさ、もしくは日本らしさを感じていて絶対に出したかったのだろう。

ちょっと脱線してクレーン吊り上げ場所

クレーン吊り上げのCGの仕組み、最初は2回違う場所で吊り上げて合わせたのかなと思ったんだけど、1回スバルビルでの吊り上げのみで撮影して、ドローンで空撮したドンキの映像を合わせたんじゃないかな。画角的に職安通りを閉鎖しないといけないのでたぶん専有許可降りないでしょう。

ところで、スバルビルといえば「新宿の目」ですよね。あの呪術的なパワーで飛んだってことにしても面白いよね。

ショービジネス

クレーンゲームの景品になった宇多田ヒカル

MVに戻ると、最後にクレーンゲームの箱の中に宇多田ヒカルが入っているのも日本らしさの強調。そしてフィクション側の宇多田ヒカルがガラスの箱しかも外側が真っ暗な箱におもちゃと一緒に詰め込まれる、これはショービジネスそのもののメタファー。もはや直喩レベルにわかりやすい。宇多田ヒカルが日本のアーティストとして世界に受け入れられたということも示している。そして金魚の伏線回収。ガラスの中の金魚を見ていた宇多田ヒカルはガラスの中で見られている入れ子構造になる。その中で曲は最後の開き直りな歌詞「おとといきやがれ」とくる。

最後はコンビニ店員側が眠っているシーンで終わる。典型的な胡蝶の夢スタイルである。アーティストってそういうことだから。

胡蝶の夢を見る宇多田ヒカル

まとめ

宇多田ヒカルというアーティストが持つ面白多面性、東京で暮らしていた中学生で、地面に落ちている絆創膏をインスタに上げ続ける陰キャでありTwitterのほうが好きな日本人で、アメリカの文化や雰囲気も対応可能な陽キャでグローバルな帰国子女であり国際的なセレブリティで、そして圧倒的な表現の才能の持ち主であるという所を、アーティストとコンビニ店員という2つのキャラクターでシンプルに示しつつ、そこにある種のリアリティとフィクションの転倒があることも見せながら、背景の部分では、外国人観光客が楽しむ日本の都会というオリエンタリズム、つまりフィクションと、新宿が持つリアリティの対比とも合わせる構造になっている。

ヨドバシとドンキのファサードだけだったのも面白くて、どう考えても両企業の協力が必要なMVで店内がなかったのは、もはや日本人がものを買わなくなって店内に行くとむしろ異国情緒であり、ヨドバシとドンキは外側を眺めて、他にお茶をしに行くだけという今の日本人の行動に合わせたリアリティを感じた。

日本らしさと新宿らしさを並列で書いたのも、そこ。外国人観光客が東京で都会らしさを楽しむなら渋谷に行ってしまう。けど、そこを新宿にしたから絶対にヨドバシカメラが必要だった。ヨドバシは渋谷にないから新宿らしさそのものなので。

そして新宿のドンキで選んだのが、歌舞伎町でも東口でもなく新宿店だったのも場所の都合を感じなくはないが、どちらかというと観光客というよりも地元の外国人と新大久保に遊びに来た日本人と歌舞伎町の住人で賑わうリアリティを重視した気がする。

この視点で冒頭を振り返ると「ヨドバシカメラ」の文字サインの強調と、トラックと搬入出の人の意図は明白だ。こういった細かいディテールの組み合わせで、一見普通のMVだが、色んな意味付けが多重に組み込まれており、非常に面白いMVだったなと。あまりにも多いので書いてないのもあるし、まだ読み解けてないものある気がする。あとリアリティって書きすぎて指が疲れたよ。ではでは。

*1:てか7年前……

名もない仕事

一昔前に「名もない家事」というワードが流行ったことがあるが、仕事においてもあるよなーと思った。てか一回これテーマでブログ書いてると思ってざっと見たけど見つからなかったので書いてみよう。

仕事をタスクに分解していくと、これはジョブディスクリプションにないよなぁなんてタスクが発生することはしょっちゅうあり、日本の会社だったらそれは総務に吸収されていると思う。最近読んだ経済学者による記事で「市場の効用を最大化するには社会に非市場的存在が不可欠」という文言があり、「名もない仕事」そのものじゃんと思った。

名もない仕事ってなにかって言ったら、一番よくあるのは、共用のハサミをしまうこと。共用物品を放置しておくと、割れ窓理論的にあらゆる文房具、工具が散らかる場所になっていき、大変不便になる。

過去、何度も自分が職場環境を守る立場になってしまい、ついでにやってあげてたのに、自分が片付けて作ったスペースを使用後に他の人がずっと物を置き続けて占有しはじめた時は、さすがに頭に来た。そういうストレスが積み重なって学部で所属してた研究室の大学院行くのやめたりしてた。感謝されても、感謝する前に直して、としか思わなかったし。

片付けない側の人は日本や海外でアカポス手に入れたり、起業して大手企業や有名ブランドとコラボしたりするくらい成功しているので、熊生の正解としては、片付けずに研究に集中しなさいってことだが、片付いてないのがシンプルにストレスでそれは生まれつきだから不可能な正解。

戻しやすくなる仕組みで解決しようと思ったこともあるが、よくよく考えたら、これは共用物品を戻せない人がまず最初に考えるべきじゃん。

電子的なファイル整理とかWikiやドキュメント管理なんかも、まぁ名前はあるが、名もない仕事寄りのタスクだ。

名もない仕事をし続けると、ママ感が出てくる。自律して生活ができない人たちを預かる職場のママである。たまに自虐で仕事でママしているというとわたしもって言われたりする。

まぁ名もない仕事ってよりはPMじゃん?って思う事例もたくさんあるが、PMって名も無い仕事ばっかじゃね?


まぁ家庭のPMがママっていうのはあるしね。不本意な職場のママたちよ、みんなおつかれ。

客はリーンを学んでちゃんと価値を産むタスクをこなせ。