車輪の下

しゃりーん。なんでもないです。楽天、初めて貼るよ。アマゾンにこの画像無かったもん。この装丁、男の子の顔が何とも言えずいいのになぁ。何とも言えずいいって実に日本語的だ。


かの有名なヘルマンヘッセの「車輪の下
だけど、あとがき読むと、世界的には、「車輪の下」はヘッセの作品の中で、8番目の売り上げでしかないんだって。へー、だよね。日本ではあまり知られていない(?)詩人としての面とか、そちらのほうが評価されてるのかな。というよりも、日本では教科書に採用されているから、有名なだけか。


ともかく、この「車輪の下」のおおざっぱな内容は、主人公の秀才君であるハンスが、秀才であるが故に周りから期待をかけられて全寮制の神学校に行くという話。


序盤は、神学校の入試に向けてのお話。町で最も頭のいい少年だったハンスが、牧師とか校長とか教師とか父親に期待されて、神学校の試験に合格できるようにと、徹底的に詰め込み教育されるんだけど、受験の為に、友人との付き合いとか、大好きな釣り、その他色んな遊びを辞めさせられて、深夜まで勉強されると言う悲惨な環境。


なのに、このハンス、ある種の天才で、学問が好きという重大な欠陥のために、悲惨な環境だということに気付かなかったという悪夢。


中盤に入ると、神学校のお話に。ここでハンスは、ハイルナーという不良な詩人に会う。このハイルナーてのが、解説曰く、著者の分身二号。一号はハンス。


ハイルナーは最終的に放校処分に。ハンスは唯一の友人だったハイルナーが居なくなった後に、精神に不調をきたして家に戻る事に。家に戻ったハンスは最終的に職人になるんだけど、職人になった後、酔っぱらって死んでしまっておしまい。


出戻って来たハンスに対する周りの反応と、ハンスが幼い頃には戻れないと悟る場面が、あーまさに自分じゃんかと共感してた。


でも、この小説のポイントはそこじゃなくて、ハンスを押しつぶした周りの人間とシステムなんだよね。ハンスはつまり車輪の下に押し潰されたわけだけど、この車輪の下を構成するのが、さっきあげた牧師、校長、教師、父親、神学校の教師、神学校のシステムそれ自体。これらというか彼らが、絡まり合ってまるで一つの車輪のようにハンスを押し潰していく過程が明瞭に書かれているのが、面白いと言っちゃなんだけど面白い。


訳者の高橋健二という人は、平易に、というか児童文学的に訳していて、翻訳小説苦手な僕もするりと読めたのも高評価。てか訳上手い。


それにしても、だ。学校というシステムの不備を告発している、この作品を教科書に載せるなんて、日本の教育はどれだけ自己矛盾してるんだ?しかもこれ、神学校を進学校と読み替えたらそのまんま近現代日本に近いよ。あははー。