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あの地震

未だに名前が確定しない気配を感じる"あの"地震。正式名称は決まってるけど、このまま通称が決まらなくてもいい状態が続く可能性は高いかもしれない。他とは規模が違い過ぎて名前をつけなくても区別できてしまうから。それくらいすでに特別。
自分の記録をする。金曜日の午後、大学でこれからミーティングというタイミングなのでシャワーを浴びていた。正確にはボディソープで全身を包み終わったところ。最初は風で揺れていると思っていたのだけど、次はのぼせているのかなとなり、立ち続けるのがちょっと難しいなと思った時点で浴室のドアを開けて部屋の状態を見てこれは地震だと悟った。長い揺れの中で、これは大変だ、連絡しなくてはと思いつつも泡だらけなのでガスが揺れで止まる可能性が最大の心配事だった。水で流すのはちょっと寒過ぎる。だから揺れの最中にもシャワーを浴びてたけど案の定ガスは止まって途中から水。あきらめて少し残った泡をタオルで拭きながら電話をかけてテレビをつけた。電話は既に不通だった。
コンピュータも立ち上げて情報をチェック。Twitterではみんな揺れ揺れ言ってた。この時点では長い揺れだけど大丈夫かなぐらいにしか思わなかった。テレビを見たら震度が出ていた。津波の映像がもう出ていたかどうかは覚えていない。この時点では関東は大丈夫かぐらいだった。東北の方も中越程度だと思っていた。ミーティングの予定変更もないだろうと思って大学に行く準備を整えて大学に自転車で向かった。
道中ではいつもの風景とほとんど変わらなかった。バスは動いているし、車も普通に動いてる。救急車と思しきサイレンの音がしたぐらいで、自転車に乗っているひともいる。風がやたら強い向かい風で自転車が前に進まなかった。大学からの帰りのバスにほとんど人が乗っていないのが気になった。大学までわりとあっさり着いてキャンパスに登っていったら、知らないおっさんに今校舎は立ち入り禁止でグラウンドに行ってと言われた。ほえーとなりつつグラウンドに行くと、たくさんのひとがいた。春休みにしてこの人数という程。研究室のひとを探す。あっさり見つかって感動の再会。なんで来たの?って言われてしまった。
しばらく、グラウンドに待機しつつiPhoneからTwitterで情報収集。電話とSMSは役に立たなかった。電車が止まっているというのがその時点での最大のトピックで帰宅困難者という概念が現実になる過程を見ていた。都内からあがる地震の被害の報告写真がその時点ではもっとも衝撃的だった。お台場が燃えている。グラウンドにいた知り合いの多くが帰宅困難になりかけていた。iPhoneからPCのメールは普通に使えたのでそちらでミーティングするひととやり取り。ミーティングの中止が決定。パケット網のロバストネスに感謝。
その後余震もあって帰宅の途に。またなぜかひどい向かい風だったので、途中で都合良く会った友達の家に避難。余震が続く。Twitterでは帰宅困難の話題とTVで見る被害のひどさがTLを占めていた。テレビでは津波の様子を放映してた。この時点でようやく地震の全貌を把握。なんだかんだいって人肌恋しかったので24時前まで居てしまった。
家に戻ってからは震災の情報を集めるしかしなくなって、不安が溜まっていった。外せない用事があったので、それが済む水曜日には実家帰るようにしようと決意したものの、不安は取り除かれなかった。結局月曜日になって計画停電と列車の運休によって用事がキャンセルされたので、それ以上関東にひとりでいるのは無理だと思ってその日のうちに実家に帰ることにした。
幸いなことに新幹線までの電車は動いていたのだけど、駅に着いた途端に計画停電に合わせてしばらく動かないとのアナウンス。ギリギリだった。新幹線では、未就学児を連れた母親の組み合わせが多勢を占めていて疎開列車だった。指定席に空席はあるものの自由席は満席程度。その時点では疎開と呼ばれていなかったぐらいにはのんきだった。隣の席の男の子はマウスをおもちゃにしていた。デジタルネイティブ。名古屋に着くと名古屋はふつうに平常運転で不安になりまくってた自分が浮いてるような気がした。
以上が地震の体験。ひとり暮らしに余震がある生活はつらい。特に男性は女性に比べて精神的に弱いとされているのにも関わらずマッチョさを求められるので、周りの人間は一人暮らしの男性にはいつもよりも注意して扱うほうがいいと思う。弱音を責めるのはクズのすることと肝に銘じよ。