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教科書の難しさ

教科書書きたい欲を持ってたりする。でも副読本にしかならないって気付いた。「ゆるふわAVR」みたいに「ゆるふわ」シリーズ書こうと思っているんだけど、教科書にはたぶんなれない。
教科書っていうのは客観性と無駄の無さの権化なわけで、小話とか入れてはいけない。自分がものを書くとき、というか本を作る時とか漫画を作る時って大体そっちの脱線部分が楽しくてやってる感がある。教科書よりも副読本のほうが面白いのも小話があったり、主観でてきとーなこと語ってたりするからだと思う。*1
一方で教科書に求められるのは、客観性、その分野を教える順序、無駄と矛盾が無くその分野で正しいとされる解説、秩序だった構造とか。その分野をコンパクトにまとめたリファレンス的存在であるべきで、分かりやすさよりも優先される。むしろ下手に分かりやすくしようとすると、プロにはかえって使い勝手が悪くなる。また、どこ向けかによって求められる要素がさらに増える。
僕の教科書書きたい欲ってのは自分が今までやってきたことをまとめて整理して自分の解釈と味付けで表現したいということなので、それはガイドブックとか副読本を作る欲求。大体の専門分野などで本を書きたいひとの欲求てのはそういうところなんじゃないか。わりとプリミティブなところで。教科書を書くとなると、先ほどの要件を満たすためにそのプリミティブな欲とは正反対のこともやらなくてはならない。だから、教科書書くのはとても大変だと思う。

*1:主観で書かれるほうが感情移入がしやすい