生物のプロトタイピング

文庫化されたので銃・病原菌・鉄を買って読んでる。上巻をようやく読みきった。文明の発展の差がどこから生じたのかを先史時代から遡りつつも、その原因ひとつひとつを丹念に論じていく本だ。歴史の授業が好きだった人にはかなりおすすめ*1
結論部分からして梅棹 忠夫の文明の生態史観に似ているなと思ったのだけど、本書のほうがはるかに丹念に検証していて説得力が上かな。

文明の生態史観 (中公文庫)
梅棹 忠夫
中央公論社
売り上げランキング: 1754

食料生産

この本では異なる文明、文化の衝突が主題になる。だから、狩猟採集民と農耕民の対立が最初のベースになる。どのように狩猟採集から食料生産に移行していったかがキーで、ここに遺伝が関係してくる。
どういうことかというと、人間は常に自分達にとって易になるものを探していて、狩猟採集生活の中でまず食用となる植物を探しだす。次に、その植物のおいしいものをなるべく選んでいく過程で淘汰圧がかかり、自然とその植物が食料として適したものになり栽培がしやすいものになっていく。そうして栽培が可能になると畑が出現し、さらに畑の中で人間に選抜され、より栽培しやすく食用に適したものになる。いつの間にか農耕民になっていくのだ。
自分にとって有用なものを見つけ出すという作業をした結果、遺伝によって植物が変化し、農耕民に移行するということになる。ここでポイントになるのが、元から栽培化しやすい植物があるということ。つまり前述の流れに適応しやすい植物があり、それが現在に至るまでの人間の農業生産を支えている。

適応したものはプロトタイピングが早い

単純に言うと、遺伝子の改良が素早く進む植物が栽培化しやすい植物である。これをちょっと違った言い方をするとプロトタイピングの早いものが生き残るということだ。性と遺伝は素晴らしい武器で、突然変異と遺伝によって無秩序にプロトタイピングを繰り返すから、繰り返せる回数が素早いほうが圧倒的に強い。そこに生物のシステムの真骨頂があるなぁと感心した。
ではなぜ人間は世代交代のペースが遅いのにこんなに繁栄しているのかというと、遺伝ではなく道具の発展でそこを代替しているからてことで、そうすること遺伝よりも早く適応出来るようになったということじゃないか。

まとめ

まだ下巻読んでないから食料生産の始まりについての感想でおしまい。ごく短絡的に得られる教訓を書くなら、新しいものに対して保守的であるよりもとりあえず使ってみるとかやってみるという方が人類にしろなんにしろうまくいってるみたい。

最後にリーダビリティについて

話の流れとしてはシンプルで結論もばっさり言っているのだけど、やたら出てくる単語が長く、繰り返しが多い結果ちょっと読みづらく、一文字一文字を読むよりも行単位でさらーっと読んだほうがむしろ頭に入る。これから読む人には速読的に読むほうが理解が深まると思います。

*1:人文学が好きな人はすでに読んでるひとが大半な気はするけど