日本国憲法では基本的人権が尊重されるはずだけど

選挙も終わってしまって今更な話だけど、自民党改憲案では天賦人権論をやめるという話が選挙前に話題になってた。自民党によって改憲が実現すると大変なことに、って。まぁそれは確かに筋の悪い感じの憲法だなとは思うんだけどさ、今の「基本的人権を尊重する」という憲法を持つ日本の国(行政、立法、司法)も社会もそもそもがあんまり基本的人権を尊重してないよね?って思うのですよ。

国の問題として尊重してないって具体的に何がって言うと、まず平等じゃない各種社会制度を作る国会があり、それを運用する行政があり、それを違憲としない司法があるわけだ。単純な例だと非嫡出子の相続分が少ないってのとか。配偶者特別控除とかも不平等な制度だなーと思うし、正社員じゃないと入れません的な各種制度にはうんざりし過ぎてもはやってところだろーか。原理主義者的にはすべてアウトじゃねーかと思うんだけども。

社会

社会の方はと言うと各種ハラスメントだよね。まぁいいじゃないかみたいなヤツ。仕事の飲み会行ったら、笑いながら性的なことをネタにされたので死ねと思いながら笑顔で「なんでそんなこと言うんですかーww」と言ってひたすらビールを飲んだ。というのは典型的だけど、学校に残る体罰とかはもはや奴隷的拘束って言うやつですね。最近話題になりましたね、奴隷的拘束。

学校

学校も大学以外は奴隷的拘束が多すぎたのと、それによって出来上がる人間関係からのハラスメントでもーいやだった。自分で選べない自由の無さがいやでいやでしょうがなかった。好きな科目も嫌いな教員がいた時の絶望感。そもそも何やらされているのかよくわからない科目。嫌いな人間と一緒になるクラス。
大学は楽だった。人生で初めて基本的人権を長期にわたって侵害されていなかったんじゃないか。誰にも何も言われないことがこんなに楽だとは思わなかった。制度面でも入学の試験も筆記試験のみでほぼ完璧に平等だし、中に入っての成績評価だって教員が事前に評価基準を示してくれるのでそれに沿って努力すれば正比例でついてくる。理想郷だった。
と、過去形になるのが悲しいけど、大学というモラトリアムがあったお陰で、義務教育と高校がおかしかったのと社会がおかしいのに気づけたとも言える。あまりにも楽で楽しく生きていたので、社会に出た途端、あーこれはきついなーとなっている。社会に出た途端と言いますか、就活からだね。法令違反ではないけども、それってポリティカル・コレクトネス的には完全にアウトだよね*1みたいなことが沢山あってうぐへー。

社会の雰囲気は変わった

とは言え社会に話を戻すと、前進していると思うんですよ。人権ではなく雰囲気の話になってしまうんだけど、僕が子供の頃は男の子がぬいぐるみを欲しがるというのは奇異な目で見られた。家族、親戚、近所の人、みんな男の子なのに?みたいな顔をしていた。それが翻って2012年、今男の子がぬいぐるみを欲しがったってそれを奇異の目で見る人はほとんどいないと思う。奇異の目は基本的人権を侵害しないんだけど、「男の子はやっぱ〇〇じゃなきゃ」みたいな発言はされていて、それはアウトであるというほんわかとした認識は広まったんじゃないかな。他人と違うことを許容出来る範囲は広くなったと言えると思う。あとコンプライアンスとか。

まとめ

学校、特に義務教育と高校の「現代社会」「公民」らへんで「基本的人権の尊重」を学ぶんだけど、それを学ぶ現場である学校で教師が生徒の基本的人権を尊重しているようには全く見えなかったのが深く印象に残っていてんだけども、大学に入って忘れてたら、社会に出て面接官とか上司とかクライアントの方々が起こすハラスメントの数々にうひゃ〜となってたのでまとめてみた。こうしてみると、日本は個人にしても制度にしてもまだまだ基本的人権をかなり軽視しているように思えるんだよなぁ。

*1:私企業だから問題ないのはわかってる