幸福権

日本国憲法では基本的人権が尊重されるはずだけど - ゆうれいパジャマ
前回の記事では、今の日本社会では基本的人権が尊重されるどころか軽視されているようにしか見えないということを書いた。それを受けての続編の今回の結論は、当然、基本的人権が尊重される社会になるといいなーということになる。すべてのひとが、人権を侵害されない社会。最小不幸社会っぽいぞ。
理念としてはすでに憲法に書いてあるし、具体的な人権侵害については個別に対応すればいいと思う。大枠では教育の問題のはずで、それは若い人を見れば大体成功していることは分かる。残りの最大の問題はすでに社会に出ている大人(特にある一定の年代以上)の価値観が古すぎるというところ。何もせずただ彼らが社会の中心から退場していくのを座して待つというのも教育が成功しているからありなのだが、積極的に変えていくなら再教育が必要。再教育となるとイバラの道ですね。基本的人権に関してはこんくらい。
さらに踏み込んで疎外感とか、不公平性とかを無駄に感じない仕組みがあるといいなぁと思う。去年はそーいうことばっかり考えていて、ログを見てもざっとこんだけ記事があった。
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基本的人権の中に幸福追求権があるけど、追求であって、幸福であることが保証されないのがミソ。幸福であることが保証される社会、国っていうとディストピアチックだなぁ笑 そこは一線を保って幸福追求権のままににするにしても、幸福までの距離はそれぞれ等距離であって欲しいよねぇ。原理的に無理だけど。