ディレクターのディレクション能力の重要性、そして会社のディレクターとしての社長の能力

サイコパスなクライアントの対応で3日音信不通になったら各方面から怒られた。
さて、表題の件なのだが、この頃仕事をしてて、ディレクターって重要だなという当たり前の話を痛感している。そして、社長は会社全体のディレクターでありかなりのディレクション能力が求められるから無能なシャチョーの元にいるの疲れたって話をする。
まずディレクターってなにやんのってところから始める。最低構成のチームで考えるとディレクター以外だとエンジニアとデザイナーがいる。まずエンジニアとデザイナーは与えられた条件の元でのソリューションを提供する人々である。*1 それに対してディレクターはそのふたりに条件を与える人と言える。マイクロマネジメントするなら本当に細かく条件を与えていく人でいいのだけど、実際はそんな時間はないので、作るもののコンセプトを共有し、絶対に譲れない条件(機能やKPI)を設定する、というあたりになる。語義から言っても作るものの方向を決める人と言える。ディレクターは作るものを決めた方向に向かわせるために、チームを導く。つまり作るものとチームの2つのディレクションをするのがディレクターであるが、前者のために後者をすることに注意が必要である。並置ではない。
で、どうしてディレクターが重要なのかだけど、作るものに対しての影響力一番でかいのがディレクターだからっていう当たり前の話なんだよね。ディクレターがなにを作るかを決めるわけじゃん。エンジニアとデザイナーはソリューションの提供という意味ではコモディティ化もしやすいし交換可能性も高いんだけど、ディクレターが一番交換不可能になる。
だからよいディクレターってのは本当に重要なんだけど、経験上、作るもののディレクションがうまいディクレターってあんまりいない。チームのディレクションがうまい人は結構いるんだけど、そもそもの作るもののところであんまりピンと来ないな〜って方向性示されることが割と多い*2。それもそうで、誰をディレクターにするか決める時、チームのディレクションのうまさ=人間性の高さで決めるのが一番楽だからしゃーない。ジョブズをディクレターにしたくないでしょ?
で、社長の話になるんだけど、会社全体のディレクターってチームのディレクションじゃない?ってなるんだけど、ディレクターの第一義を考えると、その会社のミッションの実現のためのディレクションになるわけだ。ジョブズを引くまでもなく、日本最大の企業、トヨタの社長見ればわかるけど基本的に「よいクルマを作ります!」って言ってるわけで、これがシャチョーなわけだ。前の社長までがどこか言及することが利益ばかりなところがあったのに対して、今の社長はビジョンをしっかり語るところがよいよね。
さて、わたくしがエンジニアとして存在したことのある、とあるカンパニーでは、シャチョーがユーザーからの声を集めてそれへの対応策としての新機能追加を提案してきたことがある。その提案、確かにユーザーの不満に1対1対応する新機能追加であるのだが、機能追加の結果、そもそも提供しようとしているUXを阻害しかねないUIになる機能ばっかりだったのね。提供しようとしているUXを実現するUIとしての現状の実装がある、ってのは当然シャチョーにも共有されているんだと思ったが、この件ですっかり社長の能力が信じられなくなってしまい*3、ああこれは無理だなってなってこれを書いた。そのサービスで提供しようとしてるUXってその会社のミッションだったもん。
以上の経験より、これからはちゃんとディレクション能力のある上司のもとで働こうという感じになった。あ、サイコパスでもない上司とクライアントであるべきだね。もちろん全部フィクション。

*1:アートとデザインと研究者 - ゆうれいパジャマ

*2:書いてて思ったが、だったらお前ディレクションしろよ感ある。人間性が足りないので無理なんだけどね

*3:つまり無能だなって思った