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『屍者の帝国』と『屍者の帝国』と『屍者たちの帝国』

読書部 SF

アニメーションの『屍者の帝国


プロジェクトイトー第一弾、アニメーション映画の『屍者の帝国』を見てきた。見てきた直後の感想はTwitterに書いたので転載。

原作忘れてて適切な感想が思い浮かばない……屍者のアニメーションでの表現は良かったとしか言えない
https://twitter.com/qt_fb/status/649809954082193408

え、そこで浮くの?!!て感想みんな持つと思う
https://twitter.com/qt_fb/status/649812344877420544

原作読んでないと映画として楽しめない作りになってて、プロジェクトイトーとしてあんなに煽っといて最初の作品でこの不親切さてなんだよ許せない、とはなりましたね。神格化する扱いも、より一般に向けて広げるための方便としてならまだ許せてたんだけどこれじゃあね
https://twitter.com/qt_fb/status/649814483066425344

全体の作りとして駄作と言っていい出来だと思う。個別の要素で良いもの(ex.屍者の動きのアニメーション、階差機関のCG、フライデー、ハダリーの改変)はあるんだけど、映画全体を評価すると駄作。ツイートしたことでもあるんだけど、原作未読者に不親切だし、原作ファンにとってもSFの部分の改変が微妙。
微妙というのは、ストーリー的にクライマックスになるとジャパニメーションセカイ系表現に入るんだよね。宮粼駿の作品のクライマックスでボスからドロドロが出てきて、世界が終わるみたいな感じですね。それを主人公たちが防ぐ。アレを演出があまり良くない状態でやられると、え、今2015年じゃなかったけ??てなる。観客をバカにしてませんかね。
そう、演出も良くなくて、公開日の昼に見たんだけど、公開日ちょうど『ハウルの動く城』が金曜ロードショーでやっててしかも見てしまったら、このアニメーション昼間みたやつより面白い!ってなってしまったというね……。宮粼駿の偉大さを実感した。とはいえ世界の駿と比較しても……って思ったんだけど、近年劇場で公開されたSFアニメである『楽園追放』はハウルと比較したって面白さがある、という結論が出た。『屍者の帝国』は繰り返しが多すぎて辟易するんだよね。ワトソンはずっとフライデーに叫んでばかりだし、ハダリーの戦闘シーンはワンパターン過ぎるし、階差機関の動きもまたワンパターン。場面が移り変わっても背景変わってるだけって印象で2時間だからすごくダレる。
ストーリーを改変すること自体はそもそもの『屍者の帝国』というストーリーの来歴を考えればむしろガンガンやっていこうって感じだし、結末、クライマックスのらへんの改変以外は良かっただけに、なんかな〜って出来でガッカリだった。最低でも未読の人にも伝わるストーリー*1にするべきだったと思う。

円城塔の『屍者の帝国

屍者の帝国 河出文庫
屍者の帝国 河出文庫
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河出書房新社 (2014-11-21)
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原作忘れてるのに原作と違うって批判どうなの?って思って再読した。改めて読み直したらびっくりするほど円城塔だった。ちょうど『エピローグ』を読むのと同時(感想:『エピローグ』円城塔史上、最高傑作 - ゆうれいパジャマ)ぐらいだったのだけど、『屍者の帝国』にもエピローグはあり、そのエピローグと『エピローグ』自体の内容である物語をめぐる冒険という流れは、どう考えても関係あるんではないか、と思ってしまうのだ。
また、この小説が円城塔のものだと思わせるのは、終盤に明かされる最も大きなSFネタを僕が忘れていたということにもある。自分が忘れていたのを小説家のせいにするのどうなんだって思うんだけど、伊藤計劃作品を考えてみてほしい。『虐殺器官』と『ハーモニー』、共にそのSFとしての仕掛けは一読したらみなの記憶に残っていると思う。書き方としてそこをとても印象的に残すように作ってあると思う。そうはならなかった、という意味で円城塔らしいな、というわけだ。円城塔が下手というよりも割とフラットに書く作風ゆえな感じ。
初めて読んだ時、この小説は円城塔伊藤計劃を模倣してがんばって書いたんだなと思った。今までの円城塔とあまりにも違ったから。円城塔というとデビュー作『Self-Reference ENGINE』のタイトルに象徴されるように、自己参照ばっかりする題材を扱う。それが今回は逆に外にリファレンスしてあっちこっちの物語を使いまくってて、正反対なのだ。今から考えるといままでと正反対ってのがポイントで、方向を変えるだけだから案外うまくいったというパターンなのかもしれないが、読んだばかりの時はその違いにばかり気を取られていたし、SFとしてのネタは伊藤計劃が使っても納得なものというかハーモニーと被ってるので、伊藤計劃の作品を円城塔が仕上げたって思っていた。
さて、改めて読んでみた『屍者の帝国』だけど、面白かった。最も面白い部分はエピローグで屍者であるフライデーが記録から意識を生じたというところ。メタ的に見て、死んだ作家の後をついで書いた小説のエピローグでこんなカラクリを入れる円城塔悪ふざけし過ぎ!*2って感じで良い。また、脳の中において意識が生じているのではなく、フライデーがつづる文字の中で生じているのかなと考えるとさらに円城塔ぽくてよい*3

伊藤計劃円城塔 = フライデー ✕ ワトソン」説

アニメーション版の『屍者の帝国』は予告編をみても分かるけど、「フライデー ✕ ワトソン」のBLになっていた。これフライデーをキャラとして立たせるためかなと思っていたんだが、原作を再読してみたところ、原作のフライデーは、円城塔が盟友伊藤計劃を『屍者の帝国』という作品として復活させるための依代ぽくあって、「伊藤計劃円城塔」のBLとして見て取り、その構造を浮かび上がらせるためのフライデーの友人改変だとしたら最高に悪趣味で『屍者の帝国』らしくてよい!……って思ってたら『屍者の帝国』トリビュートの『屍者たちの帝国』の編集者である大森望氏が編集後記に似たようなことを穏当な形で書いてた。

『屍者たちの帝国』

というわけで『屍者の帝国』のアンソロジーの『屍者たちの帝国』だ。豪華な作家陣がありとあらゆる歴史と物語を『屍者の帝国』の世界に混ぜ込んでいく。どれも世界を広げるものばかりで、作家が異なるのに同じ世界観だからさらさらと読める。原作ファンとしては作家の事情的に原作の続編とかが出るはずない中で、この新作投下はまさに干天の慈雨であり天国からのマナ。作品のクオリティも高く、ありがとうございますの一言。原作ファンは買おう。
これがすごかった!っていう作品があるというよりも、世界に浸ってられる満足感の方が上なのだが、もちろんどれもこう来たかっていう技工がこらしてあって楽しい。最も楽しかったのは、坂長雄一「ジャングルの物語、その他の物語」で、屍者技術が発達した結果、頭脳の部分のみを抜き出して生体コンピュータとして使うフロントミッションかいなという楽しい世界でのお話。
しかし一連の『屍者の帝国』トリビュートの中ではやはり『伊藤計劃トリビュート』(感想:早川書房の『伊藤計劃トリビュート』にトリビュートを期待してはいけないし、SFマガジンの伊藤計劃特集はエイジズム感さえある - ゆうれいパジャマ)収録の伴名練「フランケンシュタイン三原則、あるいは屍者の簒奪」が一番だと思う。たぶん創元の年刊日本SF傑作選に収録されるんじゃないかなと思うので、『伊藤計劃トリビュート』買いたくないひとはそちらを待つのも手かと。

*1:中盤以降のなんでそうなるの??感はすごいし、ツイートもしたけど、あの気持ちの悪い売り方をするからには未読者にも売れよ!っていう気持ち

*2:悪ふざけ感は作家も毎日新聞のインタビューで言及している。このインタビューはとっても出来がよく、『屍者たちの帝国』に収録されていて良かった

*3:円城塔っぽいって思うじゃんか、でもこれ『From the Nothing, With Love』では?って考えると伊藤計劃ぽくもあって混乱する