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映画『ハーモニー』 - 美少女カリスマイデオローグ御冷ミァハの魅力を描いた怪作

SF

ハーモニーを朝イチの回で見るために生活リズムを修正しました
http://twitter.com/qt_fb/status/664931721184284672

ハーモニーを見た人「恍惚だった」
http://twitter.com/qt_fb/status/664979938366222336

御冷ミァハは我々のイデオローグ
http://twitter.com/qt_fb/status/664980575271321600

見てきた。良かった。唐突に終わるものだから終わった直後はただ興奮していた。興奮というか気が動転していたという感じだ。朝イチの回*1で見てから仕事に行って1日かけて反芻した結果、良い映画化だったなと結論が出た。

快作という評を一部で見たが、むしろ映像化にあたり大胆に遊んできた怪作だ。原作に忠実に、しかしメディアの特性の違いを活かしたやり方をしているのは漫画版で、快作と呼ぶのはそちらがふさわしいだろう。映画の方はというと、原作が多面的な読みを提供している中から、コアの部分を変えずにある読みを選択し要素を基本的には減らして先鋭化させている。その手法は、定石から外れている一方で、僕としてはそれは成功しているように見えるため怪作であるとしたい。具体的にどうなったかというと、御冷ミァハという美少女でとんでもなく頭が良くカリスマのあるイデオローグというとても記号的な存在を、映像の強さで血の通った存在であると見せつけてきた。

ミァハもトァンも全然かわいくない映画版『ハーモニー』

ところが、ミァハはかわいくないのである。原作では美少女であり、キャラクター原案でも漫画版でもかわいく描かれているミァハが全然かわいくない。それは予告編を見ても分かる。

また声も高すぎて、前半は少しアゴの尖った描かれ方をする絵との違和感が目立った。そしてそれはトァンも同様で、かわいくも美人でもないし、芝居がかりすぎたセリフと元々芝居がかっている沢城みゆきの声は、前半は特にその過剰な芝居ぽさが劇中の他の人間に対して浮いているように見えた。
かわいく描くことに失敗していると途中までは思っていた。ところがである。螺旋監察官のセッション時はセルルックからCG的な表現に切り替わる。そのトァンはかわいいのだ。つまり、セルルック時にはかわいさを敢えて出していないのではないかと思えるようになった。
かわいさはふたつあって、止まった絵としての2次元で実現するかわいさと、動きも合わせて実現するかわいさがある。後者はしぐさとして表現するのが一般的で漫画でも表現可能だ。例えばキァンのこれ。かわいい*2


ハーモニー第6話より。 http://webnewtype.com/comic/harmony/6/

映画版は前者はずっと存在せず、前半では後者も存在しない。それぞれのシーンにおいてかわいさを表現せず、むしろミァハの天才性、カリスマ性を丁寧に描いていく。かわいくはないが、徐々にキャラが印象付けられていく。そして最後に出会うシーンで、トァンが言ったことに対してミァハが切り返す様は、まさにカリスマなイデオローグだ。この時、仕草によるかわいさが実現していた。その結果、自分の魅力を分かっていてかつ自分勝手なミァハのかわいさが爆発していた。ミァハのかわいさ、美しさは最後のミァハとトァンが出会う場面で最高になるように設計されてたのだ。

最後のシーンのミァハ神がかってたのでひれ伏すしかない
http://twitter.com/qt_fb/status/664985963605594112

また声も同様で、最初の違和感はあえて作られたものに見える。

ミァハの声、最初聞いたときはえ?こんな声なのて思ったが映画終わる頃にはこの声しかミァハじゃないてなってた
http://twitter.com/qt_fb/status/664988378207662081

百合としての『ハーモニー』

トァンとミァハの百合改変は、『屍者の帝国』のBL改変とは違い、原作をそのように読むことが可能という意味で、原作にある要素を使っているため不快感はなく、むしろ主人公トァンがミァハに対して見せる執着がミァハのカリスマ性を一層引き立てていた。また、ストーリーとしての分かりやすさを実現する為の手段でもあり、無理に付け足したようには見えなかった。

原作との違い

ハーモニー ハヤカワ文庫JA
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『ハーモニー』 - ゆうれいパジャマ
公開直前に原作の感想を書いたのだけど、ミァハのミの字もない。原作では僕はミァハは装置としてしか見れていなかったようだ。ところが今はもはやミァハのことしか頭の中にない。見る前に書いておいて良かった。見た後では原作を読んでもミァハのことしか書かなくなってしまう気がする。
真面目に書くとトァンのモノローグは、かなり削られている。原作既読者はそこで前半違和感を覚えると思う。特にetmlによって会話中のトァンの感情変化をトレースできていたから、トァンの感情の機微は分からなくなり、トァンとの距離は遠くなった。etmlは表現として差し込まれることはなく、そのため映画は原作、漫画とは異なる手触りになっていた。

まとめ

とまぁ、全てはミァハ様のために、という感じで見終わったら次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループの非主流派の気持ちが分かるというものだ。つまりミァハ様である。ハーモニーの神官、ミァハ様が魅力的すぎて意識無くしちゃうよね。
ハーモニーという作品に対して、秀作としようとせず、こんな怪作を作ったみなさまに感謝したい。正直、60%の出来のハーモニーが来るのが一番つらかった*3。100%の再現もまた、ハーモニーに合わないと思っていた。ところがメディアの違いに意識的にかつ一本の筋通った形で改変した『ハーモニー』が出てきた。唇を噛み締めながら*4プロジェクトイトーにありがとう、だ。

*1:完全に余談だが、二人組が「興ざめ」って会話してて某所で見た批判の人だったかも感ある。あと終わった時隣の人は泣いていたのでかなり人それぞれで印象が違うようだ

*2:なお漫画版の完成度の高さはすごい。映画公開記念で全話が公開されているので読みましょう http://webnewtype.com/comic/harmony/

*3:屍者の帝国』はまさにそれが失敗した形だと思う

*4:伊藤計劃を神格化する売り方は一生許さないけど