台所の照明をLED化したらQOL上がった

賃貸の台所、備え付けの短い直管型蛍光灯がついてることが多いと思う。蛍光灯だと①「点灯までにタイムラグ」と②「チラつく」という欠点があって、LED化してみたら2点ともも解決して、一瞬で明かりが最高の状態で点くようになり、QOLが上がった。

変えてみて分かったのは、点灯までのタイムラグがとてつもなくストレスだった、ということ。すぐに点かなくてイラつくから点けたほうが良い時も明かりを点けずに済ますことが多かったんだって交換後に気付いた。

今回、交換したのはアイリスオーヤマのやつで、「グロースターター式」の蛍光灯と交換出来る。オススメなのだけど、くれぐれも使えることを確認してからの購入を。選ぶポイントは、

  1. 方式が合ってること
  2. 長さ
  3. 好みの色(昼白色か昼光色、キッチンなら昼白色がおすすめ)

という感じ。

最近、台所に立つことが多く、地味にストレスだなと思ってたのが解決できて良かった。

大晦日

ダルい記事がずっと上にあるのもまずいんではと思ったんでなんか書いとく。最近さらに書くことが減ったのは、熊生に新鮮さが薄れたのと、Twitterだろう。どっちもここ数年言ってたことじゃんなのだが、それぞれ少しづつ変わりつつあって、後者を先に書くと、やはりTwitterで長文を書くことをみなが躊躇しなくなったという使い方のカルチャーの変化と今年後半に強化されたスレッド化のアーキテクチャの変化の2つの変化があり、やはり2014年ごろとは違う、と思う。

前者については、最近復活した勝間和代を使って説明すると、氏がついこの前出した『超ロジカル家事』で最初の方で「仕事のやり方を家事にも取り入れる」って言ってて、つまりパット見違うやつも同じ強いメソッド*1で攻略可能みたいな話があり、それは仕事や家事以外のあらゆる分野にも当てはまったりするわけだ。そうなってくるとやってることは確かに違うけど、メタに見れば同じ、ということを繰り返してて、その先が見えるところではある。

筋トレが一部界隈で流行るのは、そういう脳を使うと同じやり方になる、というところを運動というやり方で回避している部分もあるんじゃないかな。お風呂とかもそう。薬やアルコールに頼らずに新しくてリラックスできたり適度に緊張をもたせたりできる身体感覚が大事ということかもしれない。なんかだんだん禅じみてきたな……ジョブズか。

ここまで書いてきて思い浮かんだのは「感覚の開拓」って言葉で、色々ペンディングしている新作とかも結構この言葉でまとめられるなぁって思えたので、来年や来年度ぐらいは少しそれを柱に出来るか意識してみようかな。

*1:エビデンスがあったり、その分野で勝ち残ってたりするやつ、トヨタ生産方式とかね

ダルい日々が1-2ヶ月続く

一年に一回か二回程度、ダルさが1-2ヶ月間続くことがあって、今まさにそれ。年々期間が長くなってる気がする。今回は旅行に行って帰ってきたら長引く風邪を引いてしまい、そこからもうよくわからない。天候も温度の乱高下を繰り返してるし、他者のせいにしたいところだ。無理になんかしようとすると疲れるんだけど、こういう時に友人たちの進捗が目に入って焦ってしまい、今なにが出来るわけでもないのに余計に疲れる。体調悪くなるまえに色々片付けとくんだったなー。

「政治は結果がすべて」なわきゃない

昨日、ネットで同時配信されてたNHKの選挙速報を見ていた。開票開始直後に大勢が判明し、各党へのインタビューが始まったのだが、そこで3人の政治家が「政治は結果がすべて」と言っていてびっくりした*1

小泉進次郎氏あたりも昔から言ってた気がするこのフレーズ、政治自体の否定に思えて違和感しかない。特に選挙後に言うそれは、政治=選挙であって選挙は結果がすべてという文脈で捉えられるのだが、そんなわけない。完全に公平な選挙制度は代議士制では存在し得ないのだから。

また、政治というのは利害調整なわけで、同じ政策でも適切なプロセスを踏むことが求められる。根回しというやつで、反対者への説得や双方の妥協を経て政策を実現することが求められるのが民主主義国家のはず。だから結果がすべて、というのは政治の否定に思える。

今回、保守派の勝者及び敗者から出たこの言葉、政治家には使い勝手がいいのだろう。勝ったら自己正当化として、負けたら潔く敗北を認める言葉として。でもこんなアホみたいな言葉でカッコつけてプロセスの適切さをないがしろにするのはやめて欲しい。だって結果がすべてならリー・クアンユーの家の子になればいいじゃない……って言いたくなるじゃん。冗談だけど。

*1:3人の政治家というのは、自民党の二階幹事長、希望の党の樽床代表代行、民進党の前原代表だったと思う。保守系の3人だった