引き続き小論文

最初に送られて来た小冊子を読んでるんだけど、上にも書いた通り、解答例が現実離れしてる。まぁそこは理想例ということで許容出来るのね。だけど、解答の作り方とか、小論文のポイントという結構根本な所で妙に反発を覚えてしまう。


内容と表現のどちらが重要なのかと言うトピックがあって、どちらもバランス良くというのが重要だよって書いてあんだけど、おかしいよね?小論文だよ。小はついても論文だよ。
内容>>(超えられない壁)>>表現
じゃないとイヤだよ。内容と表現が等価ってどこの感想文よ。全然論理的じゃない。はっきり言って表現なんて水準以上あればいいもの。内容が最も重要なはず。


そんでもう一つ反発を覚えたのが、文章の構成の仕方。かなり自由にやっていいよと書いてあるけど、正直自由にやるのはどうかと思う。がちがちに固めろとは言わないけどさ。でね、解答例を見ると、綺麗な文章なんだよね、日本語として。段落間の繋がりがとても滑らかだし。論旨もしっかりしてる。内容も高度。


と、問題ないはずだけど、問題あると思うねん。段落間の繋がりが滑らかというのは、小論文としては良くないんじゃないかと思うわけです。いやもちろん滑らかなほうがいいけど。


なんでそんなこと思うかと言うと、小論文の構成なんてオブジェクト指向的でいいと思ってるから何だよね。というのも、アメリカに留学してた時に習ったレポートの書き方がそういう感じだったので。図で表すとこうです。

Introduction(最初、問題の設定とか背景知識と結論)

Body1(結論の補強をする具体例とか)

Body2(上に同じで、以下幾つでも)

Conclusion(おしまい、まとめて結論を繰り返す)

これ以外の構造は絶対認められなかったです。厳しかったよ先生。Introduction の最後の文を thesis statement と言って、文章の中で一番重要な文で、ここに日本語で言ったら結論を書きます。例えば学校は週休二日制にすべきじゃないとか。ね。


そうなると Body の内容は、週休二日制がなぜ悪いのかの具体例になって、塾が土曜日の授業の代替になってるからとか、授業時間数減で学力が落ちたから、とか色々書きます。


で、Conclusion。もう一回、Body の内容を短くまとめたりして、thesis statement とは違う表現で thesis statement の内容を書きます。週休二日制を止めれば教育はよりよくなるだろうとかね。


はい、おしまい。とってもシステマチック。だからBodyの順番は入れ替えても問題ないことが多い。また Body を書く前に、Conclusion から書いてもいい。Introduciton の繰り返しだからね。


という教育を受けたので、つい文章としてこの構成しかないよね的な解答例は違和感があるということです。はい、日本語だから情緒を大切にしなきゃいけないんでしょう。どうせ。こんなの書いてないで小論対策してきます。