アートとデザインと研究者

アートとデザインて対比されがちなのだが、レイヤーからして違うものだということが大学の間にようやく理解出来たからまとめておく。
先にデザインは何かっていうと、問題解決である。与えられた問題を解決するというのがデザインで、だから多くの作業の上のレイヤーにいる人に〇〇デザイナーという名前がつくようになる。学科名にシステムデザイン学科とかついたり、授業名で〇〇(文系的な言葉)デザインがあるのはそういうことだ。エンジニアも問題解決をする人という意味で広義のデザイナーだが、狭義のデザイナーとの対比で別物扱いされる。狭義のデザイナーは見た目の問題解決者で、エンジニアは機能の問題解決者だ。
次にアーティスト。アーティストはクライアントのいないデザイナーに見えがちだが、そうではない。アーティストは社会へ問題を提示する人のことである。それは社会が抱える問題かもしれないし、ごく個人的な問題かもしれないし、もっと根源的な人間の存在に対する問題かもしれないが、とにかく問題を提示する人である。ものをつくるという意味でアーティストもデザイナーもクリエイターと呼ばれるが、アーティストは本質的にはクリエイターではない。ただし問題を提示するだけがアートではなく、審美的な面もある。素晴らしい作品というのはそこで提示される問題と表現手法が切り離せないようなものになる……と思っている。なお、アーティストは自分の作品について語らなくてもよいので、批評家がアーティストが提示した問題を解題する。
こうしてみると実はデザイナーの方が守備範囲が広い。アーティストも問題を提示するという問題を解決するひとみたいなものだからである。だからレイヤーが違うのだ。
さて、ここで急だけど研究者という存在について語る。研究者は学生にとって近しい存在であるが、多くの学生は文系、理系問わずエンジニアというか広義のデザイナーになる。一方で研究者*1というのは問題を解決するひとではなく提示するひとに近い。研究者は論文を書く。論文では自分の発見したこと、作ったものについて書き、過去の研究を引用し、自分の研究の位置づけや新しさを語る。その行為はアーティストと批評家をまとめたようなものだ。つまり研究者というのはアーティストに近いところにあるものなのである。このことに気づいた時、自分の直感に反していたからすごく意外だった。しかし、研究者としての偉大さは示してみせた世の中に無かったビジョンの大きさで測れて、アーティストの偉大さもまた、提示してみせた問題の深さで測れるのである。この2つが似てないとは言えない。

*1:分野にもよるけど