人生が楽になった

これを書くの何度目だという気もするんだけど、ブログを書くのは大抵ネガティブベースというかムカつきベースなので、最近総体としてポジティブな人格に現実世界インタフェース氏はなっていた結果ブログを書いてない。しかし今見たら現実世界インタフェースさんは仕事のためにブログ書いておった。つまり書いていないのはここのブログというか日記だね、正確に言えば。
ちょっと寄り道した話をすると、現実世界インタフェースさんのブログ力及びソーシャルメディア発信力が向上していて、ひとつのきっかけとして会社のブログがある。会社なので、結構割り切って、バズらせることを意識しつつ、グロースハックのし過ぎてピンク広告化するみたいなことがないように、嘘にならない範囲でのタイトルの付け方、記事の書き方の範疇であざとくいったら、吹っ切れて慣れて色々書けるようになった。アクセス乞食みたいでやだなーという脳内の枷を外してあげられたのが良かった。ただ、一方で人間に対する期待が下がったようにも感じる。メディア企業や有名人の尊大さはこういうところから来るんだろうなという印象を持った。
バズらせる以外に必要な文章力はやはりここでひたすら日記を書いてたのが生きており*1、書きまくってたあの日々が今の自分を支えてくれるというのは結構人生として面白い。もちろんアンチ人生に無駄なことなんてない派なんで、面白がるだけ。

本題

さてはてちょっと寄り道したところで本題に戻ると、幸せといいますか、あまり自分を不幸に感じていない時に書くことって最近というか人生を通してあんまり無かったから、ここにひとつ留めておこうと思った次第。
四半世紀が経って - ゆうれいパジャマ
これを書いた自分への未来からの答え。今ブログを読み返して気づいたんだけど、去年の春に研究室を持った先生とアポを取り、夏頃にあった試験を経て今修士課程の大学院生していることを書いてなかった。とりあえず人生の流れとしてはそうで、なんでそういう決断に至ったかは別記事にしてみる。今までしていなかったことがちょいと驚き。
今の状況を端的に言うと、よい上司及び職場を持つことはQOLのガン上げ率が半端ない。研究室は職場じゃないけども、まぁメインで生活する場所という意味での職場*2。ここでのよい上司ってのは客観的によいではなく、シンプルに自分に合うという意味で捉えてもらえれば。忙しさも上がり、いろんな初めてやることも増えて、ストレスも増えたはずなんだけど、上司が根本的に今やってることを絶対に支援してくる、同じ方向を向いているという安心感はすごい。
より正確に書くと、今のミクロな単位の職場(つまり研究室)は最高なのだが、マクロな単位の職場(大学)はレガシーで正直あんまり合わず、不満に思う点が尽きることがないんだけども、基本的人権が侵害されることはないので、研究上では大きな障害でも飲んで愚痴れば消えていく程度の不満になってしまうのであった。それくらいに上司及びミクロな職場は大事だ。
ということで、幸せとは不幸ではないことなので、これについて書くことは以上で終わってしまうのであり、去年自分が下した決断はひとまず正解である*3。大学院入る前に人生に絶望しなくてよかった。合格通知が来た後も絶望の一歩手前ぐらいにいて、何度か入学をキャンセルしようと思ってたんだけど、入学したら全てが変わるかもしれないと耐えてたら変わった。賭けに勝った。そんな楽な話あっていいのかと思ったんだけど、上司と職場は人生の時間の多くを占めているから、あっていいのかもしれない。

*1:自分で文章力あるって言うの恥ずかしいけど、一般的に見て長文を破綻なく書けるっていうのは能力なんだという理解です

*2:現代人は職場にいる時間が一番長いから

*3:正解であると言い切れるのは卒業後だけど、4月以降の3ヶ月幸せだったしね