宇多田ヒカル「Gold ~また逢う日まで~」のMVが面白かった

「え、ヨドバシ?しかも新宿」と頭の中をよぎる中、本当にヨドバシから宇多田ヒカルがすたこら歩いて登場。なんだこれ???てなった。そのまま新宿西口を歩き出す宇多田ヒカル。見覚えありすぎるよ!!!!リップシンクは完全に諦めてつぶやくように歌いながら歩いてて、たまにいるよこういう人感も少しある。

このMV、一見しただけではMVによくある表現が頻出するMVねって感じ。つまり、歌いながら歩いていくのを撮ったり、ガラスの映り込みを使って場面転換したり、クレーンによる吊り上げだったり、アーティストに2つのキャラクターを演じさせたり、とよくあるよね〜そういうのって表現の組み合わせで出来ている。しかし、宇多田ヒカルであるということを踏まえると、そこに実は意味が出てくるというパーツばかりで構成されていて、直喩と隠喩のジャングルになっている。というわけで、実際に見ていこう。

椎名林檎オマージュじゃん!

冒頭から始めると、ヨドバシから出てくる宇多田ヒカルで思い浮かぶのは、宇多田ヒカルの盟友、椎名林檎「浴室」だ。

新宿のカメラ屋さんの階段を降りた茶店はジッポの油とクリーム あんたの台詞が香った云ったでしょ?「俺を殺して」


ヨドバシ妙に強調するじゃん

冒頭のシーンでは宇多田ヒカルの歩いていく先のヨドバシの明かりがついていき、カメラは何度も宇多田ヒカルの顔と「ヨドバシカメラ」のサインを同じフレームに入れるためにパンする。これ、後述するが、見た目の表現として面白いからではなく、ヨドバシカメラであることが極めて重要だからやっているので覚えておいて欲しい。

ヨドバシカメラ強調しまくりシーン

ヨドバシの明かりがつく演出と、トラックで搬入出している人の自然な演技の対比は、アーティスト宇多田ヒカルというリアリティを示しているシーンである。

アジア系コンビニ店員宇多田ヒカル

ヨドバシのシーンは屋外のゲームコーナーのガラスからコンビニのショーケースのガラスにうつして、宇多田ヒカルはコンビニ店員になっている。まぁ違和感がすごい!ロンドンに暮らすセレブリティ&アーティストとしての宇多田ヒカルと言えるスタイリングであったヨドバシのシーンとは異なり、ここではSNSで発信する素の宇多田ヒカルっぽいスタイリングでありつつ、でもコンビニ店員感を出した結果、どちらかというと新宿のコンビニ店員によくいるアジア系の店員になっている。だって日本人こんな足出さないもん。

「Keep Tryin'」のMVオマージュとも言える

東京とNYを行ったり来たりして、東京ではインターナショナルスクール育ちなので、宇多田ヒカルは元々帰国子女感があり、それってつまりアジア系アメリカ人ぽさなのだが、そこが留学という名目で出稼ぎに来ているアジア系外国人女性店員というそれっぽさに繋がってしまう面白さがある。

一方でアーティスト宇多田ヒカルは宇多田ヒカルのリアリティなのだが、コンビニ店員はフィクションだ。MVの基本構成はここで作られる。リアリティとフィクションの対比。その障壁であり橋であるのがガラスとその映り込みだが、金魚を使うことでつながりを強化しており、金魚はまた最後のシーンへの伏線になっている。

金魚がつなぐ二人の宇多田ヒカル。金魚が日本モチーフであるのも意図的だろう

コンビニ店員からロンドン暮らしのアーティストの宇多田ヒカルに場面がまた戻ると、今度はドンキの新宿店である。歌舞伎町の方ではない、より奥の職安通りを渡って大久保側に行ったところにあるお店だ。

宇多田ヒカルの曲に共通する詩情

水漏れしている中で歌っているコンビニ店員

コンビニ側のシーンでは水漏れが始まる。これは直近の「BADモード」のMVを思わせるシーンである。なにがしかのお店の待合室がどんどん水没していく中で宇多田ヒカルが開き直って踊りながら歌うのが印象的なMVである。

ここでは映像的な類似性もあるが、より根本的には宇多田ヒカルのほとんどの曲が持つ詩情の共通部分が滲み出したという解釈を取りたい。「BADモード」の歌詞は極めて深刻な状況に置かれた人を、仕事のメール無視してウーバーイーツで家事も無視して、一緒に過ごすよと言うもので、それを明るいダンスミュージックな曲に載せて歌っている。「Gold」の方はというと、悲劇が起こる前提の歌詞であり、近い将来なにか悪いことが起きることを示しつつ、言葉そのものは明るく前向きである。少し異なる表現だが「BADモード」と同じ詩情がそこにはある。

つまり、水漏れはなにか悪いことが起きそう、起き始めていることを示している。しかし起きてしまったら「BADモード」では踊り始め、「Gold」でも仕事を放棄して歌い始める。宇多田ヒカルはアルバム『BADモード』ではベッドルームダンスミュージックに回帰したと語った。まさにその表現をどちらのMVでもしている。

椎名林檎オマージュ再び?

さて、途中解体中の小田急百貨店を西口から見るシーンも挟み、宇多田ヒカルがクレーンで吊り上がっていく。このMVのサビとも言えるシーンだ。新宿で吊り上がるといえば、またもや椎名林檎である。2016年の紅白で都庁前広場でダンサーが吊り上がった状態から降りてきて「青春の瞬き」が始まる。*1ちなみにMVで椎名林檎自身が浮かんでいる。

やはり新宿系を名乗った盟友、椎名林檎との関係性の匂わせでは……?だって二人が歌う曲だとねぇ……。

宇多田ヒカルの「二時間だけのバカンス」で、ドストレートに不倫な歌詞の曲を、椎名林檎の旦那である児玉裕一氏にMV監督させて、これまたドストレートに百合なMVに仕上げさせて……。

椎名林檎のアンサーソングとも言える「浪漫と算盤」でもやはり旦那に監督させて「神々の戯れをどうぞご覧ください」と言わせている。

てことはこのMVの監督も?と思ったら違うんですよね。確かに児玉裕一氏だとこうは撮らん気もしてくる。

クレーンのCG自然すぎるよ

話をシーンに戻すと、クレーンも線も見えている状態で吊っていくのは、リアリティ側であるアーティスト宇多田ヒカルだからだ。この吊り上げシーン、実はCGでハイパートリッキーなことをしている。新宿西口の恐らくスバルビル跡地での吊り上げで西口からの新宿の摩天楼を写しつつ東口にあるドン・キホーテ新宿店がすぐ奥に写っているのである。

浮かび上がる宇多田ヒカルと嘘の新宿

極めてなめらかで自然だが、ここは明らかにおかしい。新宿西口にドンキがないのに東口というか大久保との中間にあるドンキ新宿店を手前にして解体中の小田急百貨店とハルクを背景に吊り上がっていくのだ。

クレーン撮影の場所説明

こんなトリッキーなことをどうしてしたのか?新宿のイメージである摩天楼と、ドンキのイメージをつなぎ合わせたかったから以外にない。ここで冒頭のヨドバシと合わせて考えると、監督はヨドバシとドンキというお店に新宿らしさ、もしくは日本らしさを感じていて絶対に出したかったのだろう。

ちょっと脱線してクレーン吊り上げ場所

クレーン吊り上げのCGの仕組み、最初は2回違う場所で吊り上げて合わせたのかなと思ったんだけど、1回スバルビルでの吊り上げのみで撮影して、ドローンで空撮したドンキの映像を合わせたんじゃないかな。画角的に職安通りを閉鎖しないといけないのでたぶん専有許可降りないでしょう。

ところで、スバルビルといえば「新宿の目」ですよね。あの呪術的なパワーで飛んだってことにしても面白いよね。

ショービジネス

クレーンゲームの景品になった宇多田ヒカル

MVに戻ると、最後にクレーンゲームの箱の中に宇多田ヒカルが入っているのも日本らしさの強調。そしてフィクション側の宇多田ヒカルがガラスの箱しかも外側が真っ暗な箱におもちゃと一緒に詰め込まれる、これはショービジネスそのもののメタファー。もはや直喩レベルにわかりやすい。宇多田ヒカルが日本のアーティストとして世界に受け入れられたということも示している。そして金魚の伏線回収。ガラスの中の金魚を見ていた宇多田ヒカルはガラスの中で見られている入れ子構造になる。その中で曲は最後の開き直りな歌詞「おとといきやがれ」とくる。

最後はコンビニ店員側が眠っているシーンで終わる。典型的な胡蝶の夢スタイルである。アーティストってそういうことだから。

胡蝶の夢を見る宇多田ヒカル

まとめ

宇多田ヒカルというアーティストが持つ面白多面性、東京で暮らしていた中学生で、地面に落ちている絆創膏をインスタに上げ続ける陰キャでありTwitterのほうが好きな日本人で、アメリカの文化や雰囲気も対応可能な陽キャでグローバルな帰国子女であり国際的なセレブリティで、そして圧倒的な表現の才能の持ち主であるという所を、アーティストとコンビニ店員という2つのキャラクターでシンプルに示しつつ、そこにある種のリアリティとフィクションの転倒があることも見せながら、背景の部分では、外国人観光客が楽しむ日本の都会というオリエンタリズム、つまりフィクションと、新宿が持つリアリティの対比とも合わせる構造になっている。

ヨドバシとドンキのファサードだけだったのも面白くて、どう考えても両企業の協力が必要なMVで店内がなかったのは、もはや日本人がものを買わなくなって店内に行くとむしろ異国情緒であり、ヨドバシとドンキは外側を眺めて、他にお茶をしに行くだけという今の日本人の行動に合わせたリアリティを感じた。

日本らしさと新宿らしさを並列で書いたのも、そこ。外国人観光客が東京で都会らしさを楽しむなら渋谷に行ってしまう。けど、そこを新宿にしたから絶対にヨドバシカメラが必要だった。ヨドバシは渋谷にないから新宿らしさそのものなので。

そして新宿のドンキで選んだのが、歌舞伎町でも東口でもなく新宿店だったのも場所の都合を感じなくはないが、どちらかというと観光客というよりも地元の外国人と新大久保に遊びに来た日本人と歌舞伎町の住人で賑わうリアリティを重視した気がする。

この視点で冒頭を振り返ると「ヨドバシカメラ」の文字サインの強調と、トラックと搬入出の人の意図は明白だ。こういった細かいディテールの組み合わせで、一見普通のMVだが、色んな意味付けが多重に組み込まれており、非常に面白いMVだったなと。あまりにも多いので書いてないのもあるし、まだ読み解けてないものある気がする。あとリアリティって書きすぎて指が疲れたよ。ではでは。

*1:てか7年前……