超優秀だけど就活には失敗したんで✋

わたくし世界を股にかけるグローバルなOLな熊なのですけど、就活には失敗したんで恨みがあるんですよ。今でも"就活 死にたい"で検索してここのダイアリに来る人絶えないぐらい恨みのこもったエントリ書いたこともあるし。
ほいでな、就活エリートマジムカつくんすよ。そういうやつらクライアントに多いし。僕より出来ないのに年収上だし。そのくせ「えー!就活ってさー、そんなに難しく考えなくていいんだよ(^_-)-☆」みたいなこと言われると、お前ちょっと大久保病院の裏手に来てくれる?って詰め寄るレベルで怒りが湧くんで、きのう増田のエントリ読んでまぁそういう怒りが沸いたんでこの記事書いたんす。*1
anond.hatelabo.jp

ビジネス的なモード

就活エリートたちって大抵、外形的に優秀なんすよ。コミュ力に優れているってよく言われるけど、優秀そうな外見、言動、声質とかがあるんす。ここで「優秀そうな」は「ビジネスできそうな」と同じ意味です。それ全体をビジネス的なモード*2と呼ぶことにするね。ほいで見た目は分かりやすいじゃん、でも他の部分も結構効いてきて、そしてそこもまたDNAを超えられないのがあるんだよ、声とか。DNAじゃないようにみえるところ、言動とか立ち振舞とかも、実際21とか22になると変えるの難しくなりますからね。
でも、そういう外側からのぼんやりとした印象がビジネス的なモードに合ってるかどうかというのはすごく強く人間に影響を与えてるんだ。そして、僕にはそれがない。DNA的にもそれ以外でも。就活中はなんとか合わせようとしたけど、結果はついてこなかった。

技術(もしくはその伸びしろ)だけじゃダメだった

就活において技術は重要ではなく伸びしろが重要なのは言うまでもないけど、今はハイパー優秀な熊*3なんで、技術的な伸びしろは感じてもらえてて、だからCTOとの面接まで行ってその次の社長で落ちたし、3回目の技術者との面接の次にディレクターに会って落ちたとかもあった。

実績あれば技術で殴れる

学生が技術あっても就職できないのは、実績がないからで、実績というのは具体的にその技術の対価にお金を得たか、ということ。なので、技術持ってるし!って感じのひとはさっさとバイトでいいから働いて、こういうもの作りましたよって言えるとビジネス的なモード持ち合わせてなくても👌になるから👌になろう。
僕がこれでもう大丈夫だなって思ったのはiOSアプリで、iOSの根本はNEXTSTEP時代の優れた設計が底流にあるんだけど、そこの雰囲気つかめてGUIアプリならまぁもう大丈夫だなこれはってなったからなんだよね。そして、もうひとつ大事なのは他の人との調整で、ディレクターと他のパートを担当するエンジニア(Webサービスだったらサーバサイドとか)、あとデザイナー、そして上層部とのやり取りや根回しにiOSアプリの開発で慣れたので、少なくともiOSエンジニアとして最低限は満たせたなと思ったわけ。それに加えてiOSエンジニアって引く手あまただから困ったらiOSをフルタイムでやれば大丈夫という思いが強く自分を支えていて、最近ようやく自己肯定感が出てきて行ったことのないフルーツパーラーを巡れるようになった*4

技術で殴れるお仕事

そもそも技術で殴れるような引く手あまたの仕事、どこに転がっとるんじゃいっていう話だけど、自分の肌感覚だと以下の仕事はそんな感じ。Web系じゃねーか!って言われるとまぁ近いところにいたんで✋ってことで。他にこれも!っていうのあったら教えてください。

  • iOSエンジニア(まだAndroid出来なくても売り手市場ぽい)
  • Androidエンジニア
  • サーバサイドエンジニア(クラウド出来る人)
  • 看護師(国家資格だけど医者よりは遥かになりやすく引く手あまた)

ビジネス的なモードふたたび

いくら優秀になってもやっぱりビジネス的なモードからは逃れられなくって、そりゃビジネスだからそうなんだけど今でも初対面だとアシスタントで入ってる学生みたいな軽い扱いされるんで、人のスキルも見抜けない上に人によって扱いを変える愚か者めって思いながらミーティングしてます。基本的なラインを確認せずに終わりそうになったらアホっぽい感じで聞いてあげてます。ビジネス的なモードって優秀なフリをしたがるから、そこは当然分かってますよ〜みたいな顔したがるんで、特にそっちのモード持つこと諦めた僕からだとその抵抗ないので聞けるんだよね。ほら、優秀な🐻だからね。

おわりに

ビジネス的なモードというやつはビジネスマナー研修とかで作られたりするので、そこ全てに逆らって生きよう、そう思ったのが就活の失敗というイベントで、だからそっちに迎合したら年収が100万円上がるとわかっても迎合しない熊生を送るつもり。やっぱ松下幸之助よりラリー・ウォールっしょ!怠慢!短気!傲慢!

*1:書き終わった今見てみたら、前書いたエントリと同じ流れで書いててこの熊進歩がない……!て思った

*2:ここでのモードとはファッション的な意味合いで捉えてくれ!

*3:ひとりで案件取ってきて、全行程担当して、ひとりで現地語喋れない海外行って設営して帰ってくる

*4:笑い事ではなく、一時期は失敗する余裕がなくて行ったことのあるチェーン店しか入れなかった

大学の良さについて(いわゆるFランも含めて)

日本の大学全体について、いわゆるFラン、低偏差値の大学は必要ないとかトップ校だけを残して集中させるべきとかって意見を結構見かける。これに対して統計的な反論として、いわゆる低偏差値の大学でも学力が向上するし意味あるよっていう話はSYNODOSかどっかで経済学者がしてたと思うのだが、それはさておき、僕はそういう統計的な面からではなく、大学という場所が提供するものそのものに良さがあってそれは、大学のレベルの差に関係なくあると思うので、大学の存在ってすごく良いと思ってる。だから大学の数を減らすよりもむしろ増やして学費を無料にし誰でも入れるようになってほしいのだ。じゃあ具体的にお前の考える大学の良さってなによ?ってことになるが、理不尽が少ない場所であること、学問をする場所であることの2つだと思ってる。

理不尽が少ない場所

僕の人生の中で、最も理不尽が少ないのは大学だった。大学を出て働きだしたら理不尽なことが多かったし、その前の義務教育と高校もまた多かった。一方、大学は理不尽なこと自体は他と同じくそこそこあるが、デカい理不尽、パワハラやセクハラみたいなことが全然少ないというかほぼなかった*1。あったとしてもちゃんと報告すればちゃんと対応されるんだろうなっていう安心感があった。大雑把に言うと大学にいたときが最も自分が人間として扱われている*2と感じた。

学問をする場所

大学とは学問をする場所である、ということに誰も異論はないだろう。高校まではそうではないからしんどかった。高校までの先生は、何かの教科を教えている仕事を権力関係を確認し教え込む仕事の補助でしている、という人ばかりだった。国語の作者の意図を問う問題と同じで、実際に作者がそう思ってることよりも、ある思想がありそれに基づいてる答えを出せというやつで、先生たちは生徒の学力が向上することよりも扱いやすい人間であることの方が喜ぶんだなと思っていた。先生たちの意図したとおりにぶつくさ言わずに動くことが求められている、と。質問とか議論とか全然推奨されなかった。高校までの教育でそれに慣れたので、大学でもそんな感じでいたら、どうも大学の先生たちは違うな……と3年目ぐらいで気づいた。質問しても嫌がらないし、言われたことなんでもしますよって姿勢をしても喜ぶことはない。そこで恐る恐る自分の意見とか言ってみたり、先生の意見に反発してみたりしたらむしろ面白がってくれて、ああ、本当に自分の意見を言っても怒られないのだと気づけた。プラトンが質問とそれへの回答という形で著作を残したように、学問において質問というのは大変重要で、大学の先生が質問を喜ぶのはごく自然のことなのだが、個人的にはここの体験がとても大きくて、洗脳から解けた、というぐらいのインパクトがあった。
研究が学習と本質的に異なることを知れたのもまた、面白い体験だった。スキルを身につけることと知識や体験の探求というのはぜんぜん違う。研究という手法をうまくやれるかどうかは、知識量の多寡では決まらなかった。基本的には試行錯誤で、しかし試行には大量の失敗がついてくる。でも受験勉強では大量の失敗という経験を提供してくれなかったので、当初はまったく慣れなかった。そのうち受験勉強と同じ列にあるものではないことに気づいて、むしろこれは図画工作とか美術の授業側だって気づいた。中等教育では傍流とされている科目が研究においてはこんなに重要とは……と振り返ってみて改めて思った。

おわりに

大学の良さとしてあげた上記2つは相互に関わっていて、学問をする場所である、という分かりやすい目的があるから理不尽が少ない(学問をする場所だよねーって合意があり、基本的に規則等がそれに沿うから)という面もあるし、学問というのはそもそも理(ことわり)の追求だから理が不尽であることが少なくなるということもあると思う。そんな大学に入って、なんて自由でいい場所なのだ!って思って大学出たら、また不自由や理不尽がやってきて改めて大学の良さを噛み締めてるので書いてみた。一旦働いてから大学院に入ったほどだしね。今、大学は国の方針で変えられようとしていて、これらの良さも無くなってしまう方針が垣間見えて、それがとても残念だ。

*1:但し学生の場合のみで教員や職員の場合は話が別だと思う。非常勤講師問題や雇い止め、運営交付金の年1%減など

*2:今働いてる環境もそうなのだが、前はそうではなかったので勝ち取った感じが強く、無条件で人間扱いされない絶望がある

Creative Commonsにおける「表示」ってめんどくさいけど、実際どうすればいいのか

id:wattoさんの自称「日本三大何とか」の三つめがうちの地元になぜか多い件または郷土愛は自己憐憫の形をとりがちなのだろうか? - しいたげられたしいたけという記事で、クリエイティブ・コモンズ(以下CC)がパブリックドメインと同じで表記なしで引用されていたいので、下記のようにブコメで指摘したところ、きちんと修正されていた。正直書いてみてちょっと強い言い方だなとは思ってもう少し書きようがあったのではと思ったのだが、id:wattoさんはこういうことで怒る人じゃないだろうと思って書いた。*1

ライセンス警察なんですけど、パブドメなら表記不要ですが、CCだと常に要表記(Attribution)ライセンスになっておりまして、今回の下呂温泉の画像もそうだから、作者とライセンスを示さなければいけないですよ
http://b.hatena.ne.jp/qt_fb/20160627#bookmark-292216425

どうでもいい前置き

さてはて、僕がライセンス警察、というのは冗談なのだけど、仕事が著作権というものが死活的に重要な働き方であり、なるべく著作権は合法的に扱いたいなと思って生きてはいる。あと、最近卒業した高等教育機関が大胆な剽窃で有名になってしまい、僕は絶対そうはならないと思って特に気をつけてたところがCCライセンスの扱いだった点もある。これも余談なのだけど、当該高等教育機関はそれで有名になったにもかかわらず所属する学生たちの正しく引用しなさは半端無く、フリーペーパーづくりに関わったのだが、合法的に引用させるのに大変疲れた。

CCのだめなところ「表示が必須」


https://creativecommons.jp/licenses/
ここからが本題。CCが何なのか、は上記URLに詳しいが、簡単に説明するためにそこに載っている図を引用してみた。著作権表示をしない場合のAll Rights Reservedから著作権放棄のPublic Domainの間を埋めるのがSome Rights ReservedのCCということになる。どの段階にするかは著作権者が選べるのだ。そしてCCは最低でも表示をしなければならない。
この最低でも表示がCCの正直に言ってダメな所で、id:wattoさんも表示をし忘れたように表示ってのはめんどくさいので結局CCライセンスは使われず、パブドメとCCの一番ゆるい表示のみライセンスの間にあると言える「いらすとや」さんのようなライセンスのものがよく使われる印象がある。

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なお、「いらすとや」さんのライセンスはCCよりも複雑であり、単純にCCよりもゆるいとは言えないが、大抵の利用者から見ると表示すらせずに利用できる便利なライセンスだ。しかし、自治体が使うには少し恣意的な運用がされるライセンスでは?と思う。*2

CCの表示を満たすには

まぁ、めんどくさいけどCC使いたいよねってなった時、実はまだめんどくささがある。どこまで書けば「表示」を満たすのか、ググっても日本語だとなかなか分かりやすい例が見当たらないのである。これは日本のクリエイティブ・コモンズジェイピーがだめなところだと思う。FAQに長々と文章を載せているが、こんなのは最悪のUXであり、CCをだれも使いたがらなくさせるものだ。以下に引用するが読み飛ばしてほしい。

CCライセンスの作品を利用する際、何を記載すればよいのでしょうか? また、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスのURLやアイコン、バナー等も表示しなければならないのでしょうか?
① 何を記載すべきかについて

以下の◆のマークがついたものを記載してください。

◆元の作品の「Ⓒ 著作権者の名前 公表年」の3点セット(これを「著作権表示」又は「クレジット」と呼ぶことがあります)

→元の作品に記載されている場合には、必ず記載してください。

◆元の作品の作者名、スポンサー、タイトル

→元の作品に表示があれば記載してください。

◆元の作品の著作権表示かライセンス情報に関するページへの指定されたURL

→元の作品に表示があれば記載してください。

※ 元の作品に改変を加えて二次的著作物を創作した場合

◆ 元の作品を利用した二次的著作物である旨
→例えば、「この作品は(原著作者)による『(オリジナルの作品の題名)』の日本語訳です。」「(原著作者)による『(オリジナルの作品の題名)』の脚本です。」などの表示が必要です。
※ 権利者から著作権表示を抹消するようリクエストがあった場合は速やかに抹消してください。

②どのように記載すべきかについて

利用しようとするメディア又は方法にとって合理的な方法で上記の表示を行ってください。記載場所につきましては、厳密に場所が決められているわけではありませんが、ウェブサイトへの掲載であれば、同一のページに記載して頂くことが望ましいでしょう。

https://creativecommons.jp/faq/#a4
さて、ここで日本語のみの世界から離れてWebを見渡すと、CCの総本山クリエイティブ・コモンズオルグには「理想的な表示」例がある。今回はこれを翻訳しよう。以下はCreative Commonsによる"How to give attribution"の日本語訳である。ライセンスはCC BY 4.0である。この翻訳自体のライセンスも同様だ。日本語のタイトルは「クリエイティブ・コモンズの表示の仕方」とした。
https://creativecommons.org/use-remix/get-permission/

クリエイティブ・コモンズの表示の仕方

以下の写真を使ってどうCCの表示をすればいいかを紹介するよ!

これが理想的な表示だ!

英語バージョン

Creative Commons 10th Birthday Celebration San Francisco” by tvol is licensed under CC BY 2.0

日本語バージョン

tvol氏による“Creative Commons 10th Birthday Celebration San Francisco” ライセンスはCC BY 2.0に基づく
これが理想的な表示なのは以下の4つが全部揃ってるからだ!

実際のところ、どうやってCCの表示をするかは内容に改変をしているかや、複数のCCソースから利用しているかなどで変わってくる。もっといろいろ知りたいならCCのWikiをチェックだ!
(翻訳終わり)

まとめ

なんだかんだで結構めんどくさいので、手で書くよりは機械が生成してくれって感じは強いが、CCを使うからには守って、合法的な引用ライフ、ノー剽窃ライフを送っていこう。

*1:まったく関係ないがid:wattoさんの記事をよく読むのだが、それはよく記事に出てくる駅から展望車つき普通列車に乗り込んでた記憶があるから

*2:「その他著作者が不適切と判断した場合」に利用が断られるライセンスのイラストを使うのは自治体としてどうなんでしょうという意味だ

あきらめの悪さ

ウチの業界に関しては、才能*1というものは結局あきらめの悪さだよねってことでFAぽいんだけど、これってぜーんぜん普遍的な話ではないと思うのだが、無理矢理一般化すると、その対象に対して諦め悪くなれる、ということがその分野の才能というあたりにはできそうだ。イライラと歯ぎしりしながらわけわかんねー謎の対象の問題を解決するのがウチの業界なので、才能に対するあきらめの悪さファクターの強さは他の業界よりも強い気もするが、人間対象じゃないので楽である……って書くと僕がすごく人間嫌いに見えますね。逆に人間相手に問題解決するのが苦じゃない人は、人間に対して諦めが悪く、人間とコミュニケートする才能があるってことだ!

*1:才能だけだと語弊があるので、業界でプロとして残る人であると捉えて欲しい