文章と自分の衝突

文章を明確化する事とその弊害 - ゆうれいパジャマ
この文章で自分が「全部言い切った感じがしない」と言ったのは、明確化を経た文章が自分の意見ではなくなってるからだと気付いた。つまり、僕の意見は大体があやふやで、書いてる内に明白に「なる」のではなく「する」のだけど、結局もとの意見はあやふやなので、出来た文章に違和感を覚える、というわけ。
強く言い切るアメリカ型(学問型としてもいいです)が、曖昧にしかし巧妙に筆者の意見が入った、言外の意味入れまくりな文章を良しとする*1日本で育った自分に馴染まないと言えたりして。
ここから導きだせる教訓は一つだけあって、日記に論文の手法は合わない、それ故に日記を書いても文章力*2の向上には繋がらないということ。

*1:天声人語を読め、とかあれをお手本に書けという人多いじゃない。すごくファック

*2:=論文を書く力