『ハーモニー』

ハーモニー ハヤカワ文庫JA
早川書房 (2012-08-01)
売り上げランキング: 179

ハーモニーが出版されてから1年に1度は再読している。プロジェクトイトーをめぐる狂騒の中で、ハーモニーってSFとしてはそれほど新しくないでしょ?とかこれからの作家が今後に期待させる作品でしかない、とかいう人もいるが、僕としては、オールタイム・ベストの作品だし*1、少なくともゼロ年代で最高のSF作品であると思う。SFとしての面白さ、ディストピア小説としての完成度の高さ、エンタテイメントとしての読みやすさ、面白さを全て高い水準で兼ね備えた作品だ。

あらすじ

ベストセラー『虐殺器官』の著者による“最後”のオリジナル作品。21世紀後半、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は見せかけの優しさと倫理が支配する“ユートピア”を築いていた。そんな社会に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した……。 それから13年後。死ねなかった少女・霧慧トァンは、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、ただひとり死んだはずだった友人の影を見る――『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。日本SF大賞受賞作。
http://www.amazon.co.jp/dp/4150311668/

ネタバレなしの感想

"見せかけの優しさと倫理が支配する“ユートピア”"という言葉から分かる通り、ディストピア小説である。作中『慈母のファシズム』と言われるこのディストピアは、パターナリスティックな日本の学校のような息苦しさが、社会全体にポリティカリーコレクトな形で広がった状態として描かれる。作中のディストピア描写は今はない未来の技術がふんだんに使われているが、どこか遠い国の話のようには感じられず、学校のあの嫌な感じがテクノロジーで支援された結果、常にどんなところにもついてきてそこから逃れられなくなった状況という風に感じられ、とても身近なディストピアに見えるのだ。
ただリアリティがあるディストピアというだけではなく、ディストピアを突き詰めた先、社会と人間との本質的な関係に踏み込んでいく。人間は社会がないと生きられない以上避けて通れない、と前提にしている部分をひっくり返す、実にSFとして正しい科学の使い方をしてきてとっても気持ちが良い。
そんな息苦しいディストピアについての話なのだが、読むのが辛いかと言えば全然そんなことはなくて、語り口は軽妙だし、あれやこれやのラノベとかのオマージュ、引用がつめ込まれていてとっても楽しく読める。また、作中感情がとても重要なキーワードになってくる結果etmlというhtmlに似た感情をマークアップする言語でこの小説は書かれている。ややもすると読みづらいのでは?ってなるが、意外にもetmlは文章にリズム感が出て読みやすさを高めてくれる。その使われ方、特に箇条書きを多様するところは改行を多用する携帯小説的ですらある。
また、未来描写とキャッチーな技術用語も魅力的で、既存の技術が発展していくとこうなるんだろうな、というところと、意外性がうまいバランスになっていると思う。未来社会の全体を魅力的に描写しつつ、それがすべて『慈母のファシズム』の社会と繋がっていることも示しつつ、一方で既存の技術との延長線上に存在していることも分かる。現実と繋がってる感が高まる一つの仕掛けになっているわけだ。

伊藤計劃で何を読むか迷っているならハーモニーを読もう

前日譚である虐殺器官とは直接の関係はなく、先に読む必要はないし、僕はハーモニーの方がエンタテイメントとしてもそれ以外の作品の質としても優れていて、これこそ伊藤計劃だって感じなので、伊藤計劃を読んだことない人は、ハーモニーをまず読むことがおすすめ。

読み終わったら

未読なら『虐殺器官』を読みましょう。虐殺器官も読んでるとハーモニーは話がつながってることをとても上手に活かしつつ、しかし虐殺器官未読でも安心して読めるようになってることにおお!ってなるはず。

虐殺器官 ハヤカワ文庫JA
早川書房 (2012-08-01)
売り上げランキング: 229
それも読んでたら『屍者の帝国』を。こちら最近書いた映画とアンソロジー『屍者たちの帝国』も含めた感想の記事。
『屍者の帝国』と『屍者の帝国』と『屍者たちの帝国』 - ゆうれいパジャマ
それも読んだ人向けのエントリも書いてたので是非。僕が書いた中では時系列的には伊藤計劃関連のエントリとしてこれが一番最初なんだよね。
伊藤計劃の後におすすめする現代の海外SF - ゆうれいパジャマ

ネタバレ感想

以下ネタバレ。

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『屍者の帝国』と『屍者の帝国』と『屍者たちの帝国』

アニメーションの『屍者の帝国


プロジェクトイトー第一弾、アニメーション映画の『屍者の帝国』を見てきた。見てきた直後の感想はTwitterに書いたので転載。

原作忘れてて適切な感想が思い浮かばない……屍者のアニメーションでの表現は良かったとしか言えない
https://twitter.com/qt_fb/status/649809954082193408

え、そこで浮くの?!!て感想みんな持つと思う
https://twitter.com/qt_fb/status/649812344877420544

原作読んでないと映画として楽しめない作りになってて、プロジェクトイトーとしてあんなに煽っといて最初の作品でこの不親切さてなんだよ許せない、とはなりましたね。神格化する扱いも、より一般に向けて広げるための方便としてならまだ許せてたんだけどこれじゃあね
https://twitter.com/qt_fb/status/649814483066425344

全体の作りとして駄作と言っていい出来だと思う。個別の要素で良いもの(ex.屍者の動きのアニメーション、階差機関のCG、フライデー、ハダリーの改変)はあるんだけど、映画全体を評価すると駄作。ツイートしたことでもあるんだけど、原作未読者に不親切だし、原作ファンにとってもSFの部分の改変が微妙。
微妙というのは、ストーリー的にクライマックスになるとジャパニメーションセカイ系表現に入るんだよね。宮粼駿の作品のクライマックスでボスからドロドロが出てきて、世界が終わるみたいな感じですね。それを主人公たちが防ぐ。アレを演出があまり良くない状態でやられると、え、今2015年じゃなかったけ??てなる。観客をバカにしてませんかね。
そう、演出も良くなくて、公開日の昼に見たんだけど、公開日ちょうど『ハウルの動く城』が金曜ロードショーでやっててしかも見てしまったら、このアニメーション昼間みたやつより面白い!ってなってしまったというね……。宮粼駿の偉大さを実感した。とはいえ世界の駿と比較しても……って思ったんだけど、近年劇場で公開されたSFアニメである『楽園追放』はハウルと比較したって面白さがある、という結論が出た。『屍者の帝国』は繰り返しが多すぎて辟易するんだよね。ワトソンはずっとフライデーに叫んでばかりだし、ハダリーの戦闘シーンはワンパターン過ぎるし、階差機関の動きもまたワンパターン。場面が移り変わっても背景変わってるだけって印象で2時間だからすごくダレる。
ストーリーを改変すること自体はそもそもの『屍者の帝国』というストーリーの来歴を考えればむしろガンガンやっていこうって感じだし、結末、クライマックスのらへんの改変以外は良かっただけに、なんかな〜って出来でガッカリだった。最低でも未読の人にも伝わるストーリー*1にするべきだったと思う。

円城塔の『屍者の帝国

屍者の帝国 河出文庫
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河出書房新社 (2014-11-21)
売り上げランキング: 65
原作忘れてるのに原作と違うって批判どうなの?って思って再読した。改めて読み直したらびっくりするほど円城塔だった。ちょうど『エピローグ』を読むのと同時(感想:『エピローグ』円城塔史上、最高傑作 - ゆうれいパジャマ)ぐらいだったのだけど、『屍者の帝国』にもエピローグはあり、そのエピローグと『エピローグ』自体の内容である物語をめぐる冒険という流れは、どう考えても関係あるんではないか、と思ってしまうのだ。
また、この小説が円城塔のものだと思わせるのは、終盤に明かされる最も大きなSFネタを僕が忘れていたということにもある。自分が忘れていたのを小説家のせいにするのどうなんだって思うんだけど、伊藤計劃作品を考えてみてほしい。『虐殺器官』と『ハーモニー』、共にそのSFとしての仕掛けは一読したらみなの記憶に残っていると思う。書き方としてそこをとても印象的に残すように作ってあると思う。そうはならなかった、という意味で円城塔らしいな、というわけだ。円城塔が下手というよりも割とフラットに書く作風ゆえな感じ。
初めて読んだ時、この小説は円城塔伊藤計劃を模倣してがんばって書いたんだなと思った。今までの円城塔とあまりにも違ったから。円城塔というとデビュー作『Self-Reference ENGINE』のタイトルに象徴されるように、自己参照ばっかりする題材を扱う。それが今回は逆に外にリファレンスしてあっちこっちの物語を使いまくってて、正反対なのだ。今から考えるといままでと正反対ってのがポイントで、方向を変えるだけだから案外うまくいったというパターンなのかもしれないが、読んだばかりの時はその違いにばかり気を取られていたし、SFとしてのネタは伊藤計劃が使っても納得なものというかハーモニーと被ってるので、伊藤計劃の作品を円城塔が仕上げたって思っていた。
さて、改めて読んでみた『屍者の帝国』だけど、面白かった。最も面白い部分はエピローグで屍者であるフライデーが記録から意識を生じたというところ。メタ的に見て、死んだ作家の後をついで書いた小説のエピローグでこんなカラクリを入れる円城塔悪ふざけし過ぎ!*2って感じで良い。また、脳の中において意識が生じているのではなく、フライデーがつづる文字の中で生じているのかなと考えるとさらに円城塔ぽくてよい*3

伊藤計劃円城塔 = フライデー ✕ ワトソン」説

アニメーション版の『屍者の帝国』は予告編をみても分かるけど、「フライデー ✕ ワトソン」のBLになっていた。これフライデーをキャラとして立たせるためかなと思っていたんだが、原作を再読してみたところ、原作のフライデーは、円城塔が盟友伊藤計劃を『屍者の帝国』という作品として復活させるための依代ぽくあって、「伊藤計劃円城塔」のBLとして見て取り、その構造を浮かび上がらせるためのフライデーの友人改変だとしたら最高に悪趣味で『屍者の帝国』らしくてよい!……って思ってたら『屍者の帝国』トリビュートの『屍者たちの帝国』の編集者である大森望氏が編集後記に似たようなことを穏当な形で書いてた。

『屍者たちの帝国』

というわけで『屍者の帝国』のアンソロジーの『屍者たちの帝国』だ。豪華な作家陣がありとあらゆる歴史と物語を『屍者の帝国』の世界に混ぜ込んでいく。どれも世界を広げるものばかりで、作家が異なるのに同じ世界観だからさらさらと読める。原作ファンとしては作家の事情的に原作の続編とかが出るはずない中で、この新作投下はまさに干天の慈雨であり天国からのマナ。作品のクオリティも高く、ありがとうございますの一言。原作ファンは買おう。
これがすごかった!っていう作品があるというよりも、世界に浸ってられる満足感の方が上なのだが、もちろんどれもこう来たかっていう技工がこらしてあって楽しい。最も楽しかったのは、坂長雄一「ジャングルの物語、その他の物語」で、屍者技術が発達した結果、頭脳の部分のみを抜き出して生体コンピュータとして使うフロントミッションかいなという楽しい世界でのお話。
しかし一連の『屍者の帝国』トリビュートの中ではやはり『伊藤計劃トリビュート』(感想:早川書房の『伊藤計劃トリビュート』にトリビュートを期待してはいけないし、SFマガジンの伊藤計劃特集はエイジズム感さえある - ゆうれいパジャマ)収録の伴名練「フランケンシュタイン三原則、あるいは屍者の簒奪」が一番だと思う。たぶん創元の年刊日本SF傑作選に収録されるんじゃないかなと思うので、『伊藤計劃トリビュート』買いたくないひとはそちらを待つのも手かと。

*1:中盤以降のなんでそうなるの??感はすごいし、ツイートもしたけど、あの気持ちの悪い売り方をするからには未読者にも売れよ!っていう気持ち

*2:悪ふざけ感は作家も毎日新聞のインタビューで言及している。このインタビューはとっても出来がよく、『屍者たちの帝国』に収録されていて良かった

*3:円城塔っぽいって思うじゃんか、でもこれ『From the Nothing, With Love』では?って考えると伊藤計劃ぽくもあって混乱する

『エピローグ』円城塔史上、最高傑作

エピローグ (早川書房)
早川書房 (2015-09-30)
売り上げランキング: 2,292

読んでる途中の感想

円城塔先生の最新刊のエピローグは表紙がハーモニーと同じシライシユウコ先生で、人格をブランチ切ってバージョン管理したりパッケージマネージャでインストールしたりイグジステンスアズアサービス(EaaS)でクラウド管理したりする楽しい小説です
https://twitter.com/qt_fb/status/649825431135227904/

あらすじ

オーバー・チューリング・クリーチャ(OTC)が現実宇宙の解像度を上げ始め、人類がこちら側へと退転してからしばらく―。特化採掘大隊の朝戸連と相棒の支援ロボット・アラクネは、OTCの構成物質(スマート・マテリアル)を入手すべく、現実宇宙へ向かう。いっぽう、ふたつの宇宙で起こった一見関連性のない連続殺人事件の謎に直面した刑事クラビトは、その背景に実存そのものを商品とする多宇宙間企業イグジステンス社の影を見る…。宇宙と物語に、いったい何が起こっているのか?
http://www.amazon.co.jp/dp/415209561X

感想

物理学とか数学とかコンピューターサイエンスをネタにSFを書いてきた円城塔だが、ここにきてコンピュータエンジニアリングもネタにしてきた。普段プログラマをしている身ゆえに、それが大変面白かった。あらすじは引用したとおり、宇宙と物語をめぐる冒険で、朝戸連とアラクネのパートがエージェントものとして、クラビトのパートはミステリとして進んでいく。
この引用したあらすじ、本当に良く出来ている。というのもこの作品、そもそもあらすじをまとめるのが大変なのだが、最終的に確かにこのあらすじのとおり、(この物語における)宇宙と物語の成り立ちにたどり着く。物語をテーマとしたメタフィクションとも言える。主人公たちはしょっちゅうメタに走るし、そもそものこの物語中の宇宙の仕組みが層宇宙と言って、シミュレーション宇宙が何枚も重なっているものとなっている。さらに話はバラエティ豊かなネタをごった煮にしてあっちこっちに詰め込んだ複雑なものになっていて全容は一読しただけでは中々把握しきれない。終盤ではタイポグラフィックな表現まで使われる。しかし、それら多様でかつクオリティの高いネタたちはうまくまとまって最終的なオチに繋がっているのだ。

コンピュータエンジニアリングネタ

最初に貼ったTweetでも書いたとおり、プログラマの人間が普段使うツールがガンガンネタとして差し込まれている。ほとんどこじつけみたいなかるーい使い方から、物語の根幹に関わる使い方まで、使われ方は様々なのもまた楽しい。

人格のスケールアウト

宿命的にスケールアップの望めない人類としては、スケールアウトに縋るしかない (p.40)

攻殻機動隊2で荒巻素子が草薙素子との戦闘中、支援AIにどうしてブタにヒトの脳をつけてクラスタ化させるのが面白いのか?って聞いてAIたちは出力が多様化するからって答えたヤツだ!!!

攻殻機動隊 (2)    KCデラックス
士郎 正宗
講談社
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パッケージマネージャによる人格の管理

4章冒頭(p.101)で、刑事のクラビトが自分自身を構成するソフトウェア*1のパッケージマネージャから数学をインストールするよう迫られて、なんとか数学をインストールせずに済ませようとする。OpenCVインストールしようとしてPythonダウンロードさせられる、あの気持ちですな。

オープンソース連続殺人事件のメンテナ

「わたしはこの連続殺人事件の五代目のメンテナです」(p.114)

エピローグ自体もきっとバージョン管理されてるので、文庫化する時とかにGitHubに上がってきたりしそう。

イグジステンスアズアサービス(EaaS)による存在のクラウド

イグジステンスアズアサービスが実現する前に、エージェントアズアサービス、プラネットアズアサービス、ユニバースアズアサービスというサービスが実現済み。イグジステンスアズアサービスを使うと他の宇宙に存在することが出来るのだが、利用方法はなんとコマンドラインからなのである。

表紙

ハーモニーJコレクション版の表紙も手がけたシライシユウコ先生による表紙がとってもよい。これ、ある場面を切り取ってるんだけど、その場面の再現率は100%でかつ見た目にも素敵な絵になっている。さらに場面のみならず作品全体の雰囲気とも呼応していて、これ以上の装画は存在し得ないのではないか。

まとめ

個人的には全ての点で満足していて、今年最高の小説。この感想を書くためにあらためて読み直してたのだけど、無駄に思える描写が全然なく、初期の円城塔の小説で感じた無駄に繰り返してる感がないし、描写自体も美しい。それでいてちゃんとストーリーが存在し、そこにぶっこまれるネタも楽しいものばかり。すっとぼけた登場人物たちのやりとりもよい。

読むのを薦める対象とあるとよい前提知識など

円城塔ファンは迷わず買うべき。コンピュータのエンジニアで「物語」の構造みたいなものにも興味を持てる人にもおすすめできる。逆に言うとそこに興味を持てないと厳しいかも。
宇宙の多世界解釈あたりの話は他のSFとかで馴染んでれば良い程度ではあるけど必須。後は人類を文字を処理するオートマトンとして書いてたりするんだけど、オートマトンの説明なく書いてくるので、コンピューターサイエンスの知識があるとより楽しめる。数学、物理学についても実は説明なく書いてて僕が読み取れてない可能性あるので、その辺も知識あるとよい。『Self-Reference ENGINE』を読んでおくべきみたいな意見を見かけたが、特に繋がりがあるわけではないのでそんなことは一切ない。

*1:この時代、人類はエージェント(ソフトウェア)なのだ

記事を構成して欲しさ

最近頼まれて素人ながらDTPしてるんだけど、貰える原稿が正直下手でちょっと困ってる。誤字脱字は少ないし意図は伝わる文章なので最低限はクリアしてるのだが、構成が……って感じ。特にイントロダクションがダメ。原稿くれる人が大学生的な人たちなので、たぶんレポートの経験を元に書いてるんだと思うのだが、レポートって基本全部読んでもらえるから読者を引き込む必要がなくて、それを引きずっている印象。
紙面において読者はタイトル ➜ サブタイトル ➜ (リード文) ➜ 最初のパラググラフ(=イントロダクション)らへんを順にかつほぼ同時に見ると思う。このリード文と最初のパラグラフがちょっと長いのが彼らの原稿の特徴で、それらを配置してみるとバランスとしてかなり悪いんだよね。読者は実はほぼ同時にその辺を見ているのがポイントで、まずタイトル、サブタイトルで読むかどうか決めるのを判断し、そこで迷ったらちょっと中身を……って時に、リード文とかイントロダクションが大きな塊になってるとその時点で脳に負荷がかかりすぎて読むのを避けてしまう……と僕は思う。情報量というか見た目的なボリュームの問題でもあり、その辺をうまいこと加減するのがいい紙面になるかどうかの分かれ目。うまい加減ってのは、タイトル ➜ サブタイトル ➜ (リード文) ➜ 最初のパラググラフ(=イントロダクション)の一連の流れでなだらかに情報量が増えて、かつ、この一連の流れ全体の量が多すぎないってことだ。
これ、今回の作業において編集者が存在せず、出来上がった原稿を直接デザイン担当がDTPするという形だから起きてて、デザイン担当としていろんな工夫で調整するんだけど、元の文章変えないと厳しいことが多くてちょっと書いておいた。これ、実は美大とかでやる平面構成みたいな話と近いんだろうなって思いながらDTPしてた。原稿を書く人、一度は自分でDTPしてみて欲しい。