日記を読みたい

最近SFばっか書いてたので、日記を書く。日記。すっかりみんな書かなくなってしまった。書く側としてはそんなにはてダもツイッターも変わらないわけだけど、見る側としてはその人のみが凝縮されているダイアリーとタイムラインという総体の一部でしかないツイッターの差は大きい。
この頃は忙しい。毎年年末は忙しい。今年と去年は学校に行ってるせいもあるが。週3で働き、週3で学校。土日も出る必要ある時は出るが、なかなか疲れて出られないのになぜか土日も予定が割と入る。忙しくなる前は結構意識して土日には限らず週に1回ぐらい人と会ってたんだけど、これがかなり精神的によかった。忙しくなって人と会わなくなると、暇になった時にその習慣を思い出すの忘れるのでここに書いとく。

映画『ハーモニー』 - 美少女カリスマイデオローグ御冷ミァハの魅力を描いた怪作

ハーモニーを朝イチの回で見るために生活リズムを修正しました
http://twitter.com/qt_fb/status/664931721184284672

ハーモニーを見た人「恍惚だった」
http://twitter.com/qt_fb/status/664979938366222336

御冷ミァハは我々のイデオローグ
http://twitter.com/qt_fb/status/664980575271321600

見てきた。良かった。唐突に終わるものだから終わった直後はただ興奮していた。興奮というか気が動転していたという感じだ。朝イチの回*1で見てから仕事に行って1日かけて反芻した結果、良い映画化だったなと結論が出た。

快作という評を一部で見たが、むしろ映像化にあたり大胆に遊んできた怪作だ。原作に忠実に、しかしメディアの特性の違いを活かしたやり方をしているのは漫画版で、快作と呼ぶのはそちらがふさわしいだろう。映画の方はというと、原作が多面的な読みを提供している中から、コアの部分を変えずにある読みを選択し要素を基本的には減らして先鋭化させている。その手法は、定石から外れている一方で、僕としてはそれは成功しているように見えるため怪作であるとしたい。具体的にどうなったかというと、御冷ミァハという美少女でとんでもなく頭が良くカリスマのあるイデオローグというとても記号的な存在を、映像の強さで血の通った存在であると見せつけてきた。

ミァハもトァンも全然かわいくない映画版『ハーモニー』

ところが、ミァハはかわいくないのである。原作では美少女であり、キャラクター原案でも漫画版でもかわいく描かれているミァハが全然かわいくない。それは予告編を見ても分かる。

また声も高すぎて、前半は少しアゴの尖った描かれ方をする絵との違和感が目立った。そしてそれはトァンも同様で、かわいくも美人でもないし、芝居がかりすぎたセリフと元々芝居がかっている沢城みゆきの声は、前半は特にその過剰な芝居ぽさが劇中の他の人間に対して浮いているように見えた。
かわいく描くことに失敗していると途中までは思っていた。ところがである。螺旋監察官のセッション時はセルルックからCG的な表現に切り替わる。そのトァンはかわいいのだ。つまり、セルルック時にはかわいさを敢えて出していないのではないかと思えるようになった。
かわいさはふたつあって、止まった絵としての2次元で実現するかわいさと、動きも合わせて実現するかわいさがある。後者はしぐさとして表現するのが一般的で漫画でも表現可能だ。例えばキァンのこれ。かわいい*2


ハーモニー第6話より。 http://webnewtype.com/comic/harmony/6/

映画版は前者はずっと存在せず、前半では後者も存在しない。それぞれのシーンにおいてかわいさを表現せず、むしろミァハの天才性、カリスマ性を丁寧に描いていく。かわいくはないが、徐々にキャラが印象付けられていく。そして最後に出会うシーンで、トァンが言ったことに対してミァハが切り返す様は、まさにカリスマなイデオローグだ。この時、仕草によるかわいさが実現していた。その結果、自分の魅力を分かっていてかつ自分勝手なミァハのかわいさが爆発していた。ミァハのかわいさ、美しさは最後のミァハとトァンが出会う場面で最高になるように設計されてたのだ。

最後のシーンのミァハ神がかってたのでひれ伏すしかない
http://twitter.com/qt_fb/status/664985963605594112

また声も同様で、最初の違和感はあえて作られたものに見える。

ミァハの声、最初聞いたときはえ?こんな声なのて思ったが映画終わる頃にはこの声しかミァハじゃないてなってた
http://twitter.com/qt_fb/status/664988378207662081

百合としての『ハーモニー』

トァンとミァハの百合改変は、『屍者の帝国』のBL改変とは違い、原作をそのように読むことが可能という意味で、原作にある要素を使っているため不快感はなく、むしろ主人公トァンがミァハに対して見せる執着がミァハのカリスマ性を一層引き立てていた。また、ストーリーとしての分かりやすさを実現する為の手段でもあり、無理に付け足したようには見えなかった。

原作との違い

ハーモニー ハヤカワ文庫JA
早川書房 (2012-08-01)
売り上げランキング: 179

『ハーモニー』 - ゆうれいパジャマ
公開直前に原作の感想を書いたのだけど、ミァハのミの字もない。原作では僕はミァハは装置としてしか見れていなかったようだ。ところが今はもはやミァハのことしか頭の中にない。見る前に書いておいて良かった。見た後では原作を読んでもミァハのことしか書かなくなってしまう気がする。
真面目に書くとトァンのモノローグは、かなり削られている。原作既読者はそこで前半違和感を覚えると思う。特にetmlによって会話中のトァンの感情変化をトレースできていたから、トァンの感情の機微は分からなくなり、トァンとの距離は遠くなった。etmlは表現として差し込まれることはなく、そのため映画は原作、漫画とは異なる手触りになっていた。

まとめ

とまぁ、全てはミァハ様のために、という感じで見終わったら次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループの非主流派の気持ちが分かるというものだ。つまりミァハ様である。ハーモニーの神官、ミァハ様が魅力的すぎて意識無くしちゃうよね。
ハーモニーという作品に対して、秀作としようとせず、こんな怪作を作ったみなさまに感謝したい。正直、60%の出来のハーモニーが来るのが一番つらかった*3。100%の再現もまた、ハーモニーに合わないと思っていた。ところがメディアの違いに意識的にかつ一本の筋通った形で改変した『ハーモニー』が出てきた。唇を噛み締めながら*4プロジェクトイトーにありがとう、だ。

*1:完全に余談だが、二人組が「興ざめ」って会話してて某所で見た批判の人だったかも感ある。あと終わった時隣の人は泣いていたのでかなり人それぞれで印象が違うようだ

*2:なお漫画版の完成度の高さはすごい。映画公開記念で全話が公開されているので読みましょう http://webnewtype.com/comic/harmony/

*3:屍者の帝国』はまさにそれが失敗した形だと思う

*4:伊藤計劃を神格化する売り方は一生許さないけど

『ハーモニー』

ハーモニー ハヤカワ文庫JA
早川書房 (2012-08-01)
売り上げランキング: 179

ハーモニーが出版されてから1年に1度は再読している。プロジェクトイトーをめぐる狂騒の中で、ハーモニーってSFとしてはそれほど新しくないでしょ?とかこれからの作家が今後に期待させる作品でしかない、とかいう人もいるが、僕としては、オールタイム・ベストの作品だし*1、少なくともゼロ年代で最高のSF作品であると思う。SFとしての面白さ、ディストピア小説としての完成度の高さ、エンタテイメントとしての読みやすさ、面白さを全て高い水準で兼ね備えた作品だ。

あらすじ

ベストセラー『虐殺器官』の著者による“最後”のオリジナル作品。21世紀後半、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は見せかけの優しさと倫理が支配する“ユートピア”を築いていた。そんな社会に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した……。 それから13年後。死ねなかった少女・霧慧トァンは、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、ただひとり死んだはずだった友人の影を見る――『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。日本SF大賞受賞作。
http://www.amazon.co.jp/dp/4150311668/

ネタバレなしの感想

"見せかけの優しさと倫理が支配する“ユートピア”"という言葉から分かる通り、ディストピア小説である。作中『慈母のファシズム』と言われるこのディストピアは、パターナリスティックな日本の学校のような息苦しさが、社会全体にポリティカリーコレクトな形で広がった状態として描かれる。作中のディストピア描写は今はない未来の技術がふんだんに使われているが、どこか遠い国の話のようには感じられず、学校のあの嫌な感じがテクノロジーで支援された結果、常にどんなところにもついてきてそこから逃れられなくなった状況という風に感じられ、とても身近なディストピアに見えるのだ。
ただリアリティがあるディストピアというだけではなく、ディストピアを突き詰めた先、社会と人間との本質的な関係に踏み込んでいく。人間は社会がないと生きられない以上避けて通れない、と前提にしている部分をひっくり返す、実にSFとして正しい科学の使い方をしてきてとっても気持ちが良い。
そんな息苦しいディストピアについての話なのだが、読むのが辛いかと言えば全然そんなことはなくて、語り口は軽妙だし、あれやこれやのラノベとかのオマージュ、引用がつめ込まれていてとっても楽しく読める。また、作中感情がとても重要なキーワードになってくる結果etmlというhtmlに似た感情をマークアップする言語でこの小説は書かれている。ややもすると読みづらいのでは?ってなるが、意外にもetmlは文章にリズム感が出て読みやすさを高めてくれる。その使われ方、特に箇条書きを多様するところは改行を多用する携帯小説的ですらある。
また、未来描写とキャッチーな技術用語も魅力的で、既存の技術が発展していくとこうなるんだろうな、というところと、意外性がうまいバランスになっていると思う。未来社会の全体を魅力的に描写しつつ、それがすべて『慈母のファシズム』の社会と繋がっていることも示しつつ、一方で既存の技術との延長線上に存在していることも分かる。現実と繋がってる感が高まる一つの仕掛けになっているわけだ。

伊藤計劃で何を読むか迷っているならハーモニーを読もう

前日譚である虐殺器官とは直接の関係はなく、先に読む必要はないし、僕はハーモニーの方がエンタテイメントとしてもそれ以外の作品の質としても優れていて、これこそ伊藤計劃だって感じなので、伊藤計劃を読んだことない人は、ハーモニーをまず読むことがおすすめ。

読み終わったら

未読なら『虐殺器官』を読みましょう。虐殺器官も読んでるとハーモニーは話がつながってることをとても上手に活かしつつ、しかし虐殺器官未読でも安心して読めるようになってることにおお!ってなるはず。

虐殺器官 ハヤカワ文庫JA
早川書房 (2012-08-01)
売り上げランキング: 229
それも読んでたら『屍者の帝国』を。こちら最近書いた映画とアンソロジー『屍者たちの帝国』も含めた感想の記事。
『屍者の帝国』と『屍者の帝国』と『屍者たちの帝国』 - ゆうれいパジャマ
それも読んだ人向けのエントリも書いてたので是非。僕が書いた中では時系列的には伊藤計劃関連のエントリとしてこれが一番最初なんだよね。
伊藤計劃の後におすすめする現代の海外SF - ゆうれいパジャマ

ネタバレ感想

以下ネタバレ。

続きを読む

『屍者の帝国』と『屍者の帝国』と『屍者たちの帝国』

アニメーションの『屍者の帝国


プロジェクトイトー第一弾、アニメーション映画の『屍者の帝国』を見てきた。見てきた直後の感想はTwitterに書いたので転載。

原作忘れてて適切な感想が思い浮かばない……屍者のアニメーションでの表現は良かったとしか言えない
https://twitter.com/qt_fb/status/649809954082193408

え、そこで浮くの?!!て感想みんな持つと思う
https://twitter.com/qt_fb/status/649812344877420544

原作読んでないと映画として楽しめない作りになってて、プロジェクトイトーとしてあんなに煽っといて最初の作品でこの不親切さてなんだよ許せない、とはなりましたね。神格化する扱いも、より一般に向けて広げるための方便としてならまだ許せてたんだけどこれじゃあね
https://twitter.com/qt_fb/status/649814483066425344

全体の作りとして駄作と言っていい出来だと思う。個別の要素で良いもの(ex.屍者の動きのアニメーション、階差機関のCG、フライデー、ハダリーの改変)はあるんだけど、映画全体を評価すると駄作。ツイートしたことでもあるんだけど、原作未読者に不親切だし、原作ファンにとってもSFの部分の改変が微妙。
微妙というのは、ストーリー的にクライマックスになるとジャパニメーションセカイ系表現に入るんだよね。宮粼駿の作品のクライマックスでボスからドロドロが出てきて、世界が終わるみたいな感じですね。それを主人公たちが防ぐ。アレを演出があまり良くない状態でやられると、え、今2015年じゃなかったけ??てなる。観客をバカにしてませんかね。
そう、演出も良くなくて、公開日の昼に見たんだけど、公開日ちょうど『ハウルの動く城』が金曜ロードショーでやっててしかも見てしまったら、このアニメーション昼間みたやつより面白い!ってなってしまったというね……。宮粼駿の偉大さを実感した。とはいえ世界の駿と比較しても……って思ったんだけど、近年劇場で公開されたSFアニメである『楽園追放』はハウルと比較したって面白さがある、という結論が出た。『屍者の帝国』は繰り返しが多すぎて辟易するんだよね。ワトソンはずっとフライデーに叫んでばかりだし、ハダリーの戦闘シーンはワンパターン過ぎるし、階差機関の動きもまたワンパターン。場面が移り変わっても背景変わってるだけって印象で2時間だからすごくダレる。
ストーリーを改変すること自体はそもそもの『屍者の帝国』というストーリーの来歴を考えればむしろガンガンやっていこうって感じだし、結末、クライマックスのらへんの改変以外は良かっただけに、なんかな〜って出来でガッカリだった。最低でも未読の人にも伝わるストーリー*1にするべきだったと思う。

円城塔の『屍者の帝国

屍者の帝国 河出文庫
屍者の帝国 河出文庫
posted with amazlet at 15.10.15
河出書房新社 (2014-11-21)
売り上げランキング: 65
原作忘れてるのに原作と違うって批判どうなの?って思って再読した。改めて読み直したらびっくりするほど円城塔だった。ちょうど『エピローグ』を読むのと同時(感想:『エピローグ』円城塔史上、最高傑作 - ゆうれいパジャマ)ぐらいだったのだけど、『屍者の帝国』にもエピローグはあり、そのエピローグと『エピローグ』自体の内容である物語をめぐる冒険という流れは、どう考えても関係あるんではないか、と思ってしまうのだ。
また、この小説が円城塔のものだと思わせるのは、終盤に明かされる最も大きなSFネタを僕が忘れていたということにもある。自分が忘れていたのを小説家のせいにするのどうなんだって思うんだけど、伊藤計劃作品を考えてみてほしい。『虐殺器官』と『ハーモニー』、共にそのSFとしての仕掛けは一読したらみなの記憶に残っていると思う。書き方としてそこをとても印象的に残すように作ってあると思う。そうはならなかった、という意味で円城塔らしいな、というわけだ。円城塔が下手というよりも割とフラットに書く作風ゆえな感じ。
初めて読んだ時、この小説は円城塔伊藤計劃を模倣してがんばって書いたんだなと思った。今までの円城塔とあまりにも違ったから。円城塔というとデビュー作『Self-Reference ENGINE』のタイトルに象徴されるように、自己参照ばっかりする題材を扱う。それが今回は逆に外にリファレンスしてあっちこっちの物語を使いまくってて、正反対なのだ。今から考えるといままでと正反対ってのがポイントで、方向を変えるだけだから案外うまくいったというパターンなのかもしれないが、読んだばかりの時はその違いにばかり気を取られていたし、SFとしてのネタは伊藤計劃が使っても納得なものというかハーモニーと被ってるので、伊藤計劃の作品を円城塔が仕上げたって思っていた。
さて、改めて読んでみた『屍者の帝国』だけど、面白かった。最も面白い部分はエピローグで屍者であるフライデーが記録から意識を生じたというところ。メタ的に見て、死んだ作家の後をついで書いた小説のエピローグでこんなカラクリを入れる円城塔悪ふざけし過ぎ!*2って感じで良い。また、脳の中において意識が生じているのではなく、フライデーがつづる文字の中で生じているのかなと考えるとさらに円城塔ぽくてよい*3

伊藤計劃円城塔 = フライデー ✕ ワトソン」説

アニメーション版の『屍者の帝国』は予告編をみても分かるけど、「フライデー ✕ ワトソン」のBLになっていた。これフライデーをキャラとして立たせるためかなと思っていたんだが、原作を再読してみたところ、原作のフライデーは、円城塔が盟友伊藤計劃を『屍者の帝国』という作品として復活させるための依代ぽくあって、「伊藤計劃円城塔」のBLとして見て取り、その構造を浮かび上がらせるためのフライデーの友人改変だとしたら最高に悪趣味で『屍者の帝国』らしくてよい!……って思ってたら『屍者の帝国』トリビュートの『屍者たちの帝国』の編集者である大森望氏が編集後記に似たようなことを穏当な形で書いてた。

『屍者たちの帝国』

というわけで『屍者の帝国』のアンソロジーの『屍者たちの帝国』だ。豪華な作家陣がありとあらゆる歴史と物語を『屍者の帝国』の世界に混ぜ込んでいく。どれも世界を広げるものばかりで、作家が異なるのに同じ世界観だからさらさらと読める。原作ファンとしては作家の事情的に原作の続編とかが出るはずない中で、この新作投下はまさに干天の慈雨であり天国からのマナ。作品のクオリティも高く、ありがとうございますの一言。原作ファンは買おう。
これがすごかった!っていう作品があるというよりも、世界に浸ってられる満足感の方が上なのだが、もちろんどれもこう来たかっていう技工がこらしてあって楽しい。最も楽しかったのは、坂長雄一「ジャングルの物語、その他の物語」で、屍者技術が発達した結果、頭脳の部分のみを抜き出して生体コンピュータとして使うフロントミッションかいなという楽しい世界でのお話。
しかし一連の『屍者の帝国』トリビュートの中ではやはり『伊藤計劃トリビュート』(感想:早川書房の『伊藤計劃トリビュート』にトリビュートを期待してはいけないし、SFマガジンの伊藤計劃特集はエイジズム感さえある - ゆうれいパジャマ)収録の伴名練「フランケンシュタイン三原則、あるいは屍者の簒奪」が一番だと思う。たぶん創元の年刊日本SF傑作選に収録されるんじゃないかなと思うので、『伊藤計劃トリビュート』買いたくないひとはそちらを待つのも手かと。

*1:中盤以降のなんでそうなるの??感はすごいし、ツイートもしたけど、あの気持ちの悪い売り方をするからには未読者にも売れよ!っていう気持ち

*2:悪ふざけ感は作家も毎日新聞のインタビューで言及している。このインタビューはとっても出来がよく、『屍者たちの帝国』に収録されていて良かった

*3:円城塔っぽいって思うじゃんか、でもこれ『From the Nothing, With Love』では?って考えると伊藤計劃ぽくもあって混乱する